経験値
こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
2月から3月は、年度のまとめと新年度の計画を同時進行でしているところです。
私は会議の年間計画を立てるとき、毎月の司会と書記をあらかじめ明文化しておきます。
とある会議に、新年度新しいメンバーが加わります。書記は持ち回りで行うので、新メンバーにも当然やっていただくことになります。私は特に深く考えもせず、その新メンバーの方の書記を前年度の流れに従って6月に予定しました。そうしたら、既メンバーから「新メンバーに6月に書記をやってもらうのは早いんじゃないか」とのご意見をいただきました。
「そうかなあ、議事録のひな型はあるわけだし、そんなに難しいことではないんじゃないかな。必要なら録音していただいてもかまわないんだけど。」と私は答えました。結局新メンバーご本人の考えも聞いてみることとなり、その場では結論に至りませんでした。
数日後、某師長さんがこんなことをつぶやきました。
「とある外部の会議に出たときに、書記をする人がいなかったので、私が手上げしました。書記くらい、いつも職場でしているからどうということもないと思っていたのです。ところが、皆さんの話の中には過去に話しあった出来事や、明文化されていない決まり事みたいなことがポンポンと出てくる。私はその会議に出るようになったばかりなので、みなさんが話していることが何の話かわかりません。そして今の発言を議事録に残しておくべきなのか、雑談のひとつなのかの判断もつきません。書記をやりますと簡単に引き受けてしまって、少し後悔しました」という内容です。
先述の話とあまりに符合するのでびっくりしました。
そうか、経験値。
その場にいることで体得したものごと、共有した感情などは少しずつ積みあがって今につながる。
冒頭で意見を言ってくれた方も、初めて書記をしたときに「この人たちは何の話をしているのだろう」という経験をしたのかも知れなかったのです。いつかはどこかで経験しなければならないから、「わからないことがわからない」の状態からやってみるのもひとつではあります。その「わからないこと」を尋ねるというのも、大事なことだし。しかし現実にはすべてのことを既メンバーのように知ることはできないわけでして。
私は別な視野を授けられて、「あ、なるほど」と腑に落ちたのでした。
1年経てばすべてわかるかと言われると、そうではありませんが、少なからず新しいメンバーにとって、書記を後ろにずらすのは、やさしい配慮だとわかりました。ややこしい話、伝わりましたでしょうか。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
想像力がだんだん乏しくなっているのな。