病院内に社会の風が吹き抜ける〜ボランティアせらの活動〜(上)
当院には「せら」という名前のボランティアグループが活動しています。
2003年に前野理事長(当時は院長)が緩和ケア病棟を開設し、その後せらが結成されました。せらという名前は、「ケ・セラ・セラ」のセラ、「セラピー」のセラ、そして「せせらぎ」のせらから由来しています。結成当初のお茶会には淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生がお越し下さって、ずいぶん勇気づけられたと伺っています。
せらの活動は、緩和ケア病棟で開かれるお茶会や、イベントのお手伝い、季節の飾りつけ、縫い物など、現在に至るまで続いています。季節の飾りつけは、温かく全体のバランスも整ったアートとなっており、患者さんやご家族だけでなく職員も立ち止まって見入っています。
デイルームで毎週開かれるお茶会は、患者さんもご家族も楽しみにして下さっています。
フルートやピアノの生演奏を聴きながら、カフェのように好きな飲み物を注文できて、のんびり過ごすことができるのです。
医師や看護師らも同席して、楽しく語らいながらお茶を飲んでいると、病院にいることを忘れてしまいそうです。
ボランティアさんたちは、揃いのエプロンをつけ、注文を取りに来て、飲み物を作って優しい笑顔でテーブルに運んでくれます。
お部屋の入口には戸口飾りといって、手作りアクセサリーがぶら下がっています。
これらのことは、職員だけでは到底できることではありません。ボランティアさんたちが作り出す世界や空間は、社会の中で日常生活を送っていることを思い出させてくれるとともに、人の手のぬくもりややさしさが感じられて「ほっ」とするものです。
せら存続の危機
昨年私がこの病院に来た時、せらは存続の危機にありました。かつて10名以上いたメンバーは、年齢や体調、ご家族の介護など様々な事情で、7名ほどになっていました。そのうちお茶会に毎回来られる方は4名しかおらず、自分が休むと他の人が困るという理由で無理を押して来てくださっていました。来れるときに来て、楽しく活動するはずのボランティアがまるで義務のようになり、メンバーは皆疲れていました。5月までにさらに人数が減り、毎週行われていたお茶会の運営や季節の飾りつけが危うくなりました。
そこで、みなさんからいろいろお話を聞き、方向性を幹部で話し合いました。
病院側の対応にも反省すべきところが多々ありました。自律して活動しているせらの皆さんに頼り切って、コミュニケーションが不足していたのがその原因でした。
過去を省みて、これからのボランティア活動について、どんな方針をもって進めていくのか見直すチャンスでもありました。
せらの活動は、私たちの病院にとってなくてはならないものです。病気と闘う患者さんとご家族が、ほんのひとときでも病気を忘れ、社会の空気を感じることが、今を生きていく上でとても大事なことなのです。
ですから病院側とせらとの間をつなぎ、対話する仕組みをつくること、新たなメンバーを募集し、ゆとりを持って活動できるようにするのが急務でした。
ボランティア・コーディネーターの誕生
組織の基盤を作るためにコーディネーターという役割をもった人を作ることにしました。
病院のこともわかっていて、新たなボランティアさんたちに院内のことや活動を説明し、一緒に動いてくれる人。親切で明るく、楽しい人。ボランティアさん一人一人の得意なことを引き出して、活動に結び付けてくれる人。
こんな条件のそろった人、めったにいないものですが、幸運なことに私たちの仲間に、その人はいたのです。
その人、鈴木さんは仕事をしながら何年もかけて「英国式リフレクソロジー」を学び、自らボランティアとして活動しようとしていた人でした。
https://sapporominami.com/nurse/voice/
(つづく)