北海道胆振東部地震 その2
9月7日(金)地震2日目
朝7:30 全体ミーティング
事務長は昨日の混乱状態を整理し、ホワイトボードを全員が共有しやすく整理していた。
これからも災害に備えて、必要項目を明確にし、職員一人一人のアクションカードを作ることにしようと話し合った。
病棟の患者さんは事故もなく安静に過ごされたよう。
暗闇の中を必死で守ってくれた師長さんやスタッフに感謝。
夜勤スタッフの疲労が強いが、気が張っている。休みのスタッフも自主的に来てくれたおかげで配膳や食事介助はスムーズに進む。
停電断水で保育所が使えず、子連れで働くスタッフも数名。子供は5人。
急きょ家族控室を使い、臨時保育室にした。保育士は確保できなかったので女性職員に頼んで対応してもらった。
今日の透析予定の方は昨日のうちに中止の連絡をしていたが、このあと電気と水の復旧がいつになるかで明日の対応は変わる。
送迎している患者さんにも、車が到着する時間を連絡しなければならない。
透析室副主任は当院で行う場合と他院で行う場合の2段構えで調整を考え、患者さん宅と職員に連絡していた。
9:00 全体ミーティング
停電がまだ続くと考えて今日の私の作戦は
*病棟の明りの確保(でも売ってないだろうな・・)
*明日以降の保育園をどうするか
をまず解決することにした。
水道はその日中に給水車が来て、貯水槽に直接水を入れてくれることになった。
EMISから夕方までに「電源車」が来て病院の電気を復旧してくれるという情報が入った。
さらに自衛隊が来て軽油をドラム缶で置いて行ってくれた。
少し心の余裕ができた。
夕方に電源車が来る→透析に使う水の機械の確認→19時にはどこで透析をするか決定できる。
確実なことがわかってから透析の患者さんに連絡しようということになった。
保育園は日曜まで院内臨時保育所をつかうことにして、保育士さんの手配をおこなった。
関連病院へ連絡し、遅ればせながら状況報告をした。
そこはすでに前日から電気が復旧していたので、懐中電灯と電池をお借りできることになった。(やった!)
配膳作業は昨日一日の経験があって、みんな熟練した。
手の空いている職員がこぞって階段に並びバケツリレー方式で手渡しする。
「はい、2階で~す」「は~い」「はい、3階で~す」という感じ。
仕事で買い物に行けない職員もいるため、食堂ではまかない食となった。
たまたま翌日に病院祭をする予定だったので、鶏もも肉を大量に購入していたから、栄養科で唐揚げと大量の卵焼き、野菜スープ、主食はおかゆを鍋ごと置いてくれた。同じく祭用の飲料水やお中元でいただいた缶ジュース、お菓子も職員に配給された。
昨日閉めていた売店は患者・付き添う家族・職員のためだけに開くことにした。
すでにスーパーやコンビニは商品在庫がなく、当院のような小さな売店でさえ自宅用に買い占めようとする人が来ていた。
レスピレータの患者さんを送って空いたベッドを、昨日から外来にとどまっていた在宅酸素の方の入院ベッドに使っていただく。
それから電気が復活したあとに、転院したレスピレータ患者さんを受け入れる段取りをMSW(医療ソーシャルワーカー)と検討。
だが透析が決定しないと車の手配ができない。
院内で行きかう職員に一人一人声をかけ、家の被害状況を立ち話で確認する。
食器棚が倒れた、タンスが傾いた、という人は結構いるけれど、幸いけがをした人はいない。
よかった半面、緊張やプレッシャー、やりにくい仕事のストレスから見えない疲労があるだろう。
平常になるまでどれくらいかかるかわからないから、最小限でうまく機能できるようにと願うばかり。
16:30本日の最終ミーティング
給水車のおかげで、当面の水は確保できた。
ただ電源車が16時くらいに到着と言っていたのが大幅に遅れる見込みとなった。
これでは電子カルテはまだまだ使えず、透析も当院でできる見込みが薄くなった。
夜半に電気が使えるようになったとしても、SE(システムエンジニア)は昨日から泊まり込んでおり、すでに36時間くらい経過している。
疲労を考えて電子カルテの確認作業は明日朝からにしようと決定した。
透析場所の決断も夜中近くなるので、患者さんには「当院でやるつもりでお仕度しておいてください。当院でできない場合だけご連絡します」と手分けして電話した。
夕方関連病院からLEDのヘッドライトと懐中電灯が大量に届いた。
ありがたい。
夜勤者に説明して配布。みんな喜んでくれた。
19:40病院を出た。
帰りにスーパーに寄ったが、生鮮食品はほとんどなし。あらゆる棚に「一人1つまで」と書かれている。
瓶のジュースと果物を少しと、お菓子を購入した。我が家は乾麺など食糧があり、数日前に知人から野菜をいただいたばかりだったのが幸いした。
一旦溶けた食材もあるが、気にせず食べる。水・電気・ガスが通っているので、ぜいたくは言うまい。1週間くらいすれば流通も正常化するだろう。
20:30帰宅後に病院から普通に電気が復活したと連絡をもらった。なんと電源車が来るより先に復旧。なんにせよありがたい。これで透析の問題が一挙解決した。続いて師長さんたちに連絡。皆安堵してた。ほっとしたが気持ちが高ぶっていたのか寝つきが悪かった。夜半に余震。
(つづく)