ホームホスピス かあさんの家のはじまりの物語
庭のある大きなおうち。
そのおうちは、玄関も居間も台所もひとつひとつが大きな作りだった。
冬の始まる11月頃は廊下が冷えて、足裏から冷たさが上ってくるように感じられた。
居間に続いた和室がYさんの居場所。
たたみの上に厚みのあるマットレスが敷かれていて、一日のほとんどをそこで横になって過ごしていた。
動かなくてもいいように、マットの周りには日常で使うものが所せましと置かれていた。
もう20年位前のことだけれど、私はYさんのお家へ訪問看護に行っていた。
奥さんを失くし、子供たちは独立して本州で暮らしていたので、Yさんは何年も一人暮らしだった。
病気で入退院を繰り返していたが、治ることはないと知ると、家で点滴をしながら暮らすことを選んだ。
朝点滴を刺しに行き、夕方点滴を外しに行く。
私たち訪問看護師が訪れた時だけ短く言葉を交わす。
それ以外はしんとした静寂の中に包まれて過ごしていたのだろう。
家族がみんな揃っているときにはこの家にも隅々まで空気が流れていたのだろうなあ。
まな板で野菜を切る音や湯気の立つ匂い。
食器を重ねる音。
暮らすってそういうことだ。
年老いて独りになる。
できるだけ長く、住み慣れた自分の家でずっと暮らしたい。
それはごくごく当たり前のことだ。
だけどいつか、かなわなくなるときがくる。
9/15にホームホスピスの講演会を聴いてきた。
宮崎の「かあさんの家」の始まりの物語。
私はお話を聞くまで、重大な勘違いをしていた。
先に古民家を借りるか買うかして「かあさんの家」を始めたんだとばかり思っていたのだ。
「かあさんの家」は、そこに住んでいる方丸ごと含めての事業なのだそうだ。
そこに一人暮らしができなくなったお年寄りが5人ほど集まり、まとまって暮らし始める。
その家の食器や家具をそのまま使って暮らすのだ。
理事長の市原さんはこういう。
「家は、もともと住んでおられた「〇〇さんのおうち」という信頼ごと借ります。
地域の中で大事に住んできた古い家は鍛えられて、暮らしとともに信頼が積み重なっている。
家は施設と違って部屋の大きさは不平等だけど、そこに疑似家族として「とも暮らし」をする。
今でいうルームシェア。
自宅ではないけれど、もうひとつの家。」
そこでは朝起きる・着替える・食べる・排泄するという生活の整えをしていく。
医療者は身体面や精神面を注目しがちだけれど「かあさんの家」では、その人がどんな社会で生きてきて、どんな文化や習慣を持っているかを重視する。
その人の生活習慣を理解することはその人の暮らしを尊重することだ。
生活が整ってくると、何か意欲が芽生えてくることがある。
たとえば「あそこまで歩きたい」というようなこと。
それを実現するためにプランを立てて実行するのだそうだ。
この積み重ねで寝たきりだった方が映画を見に行けるようになった、と実例を見せていただいた。
ケアを受ける人もケアする人も共に生きる喜びを感じられて、見ているだけでワクワクが伝わってくる。
日常の延長戦上に看取りもあって、自然な死へのプロセスをたどっていく。
映画「人生フルーツ」みたいだね。
思い出の中のYさんも、こんな「かあさんの家」の提案をしたら、どう思っただろうか。
「他人と一緒に暮らすなんて嫌だよ。静かに一人で暮らしたいよ」と言ったかな。
それとも「それは賑やかでいいね」と言ったかな。
きっと家は喜んだだろうね。
今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
北海道には「かあさんの家」がまだないのです。