先日、もう一つの看板ができました。前回は向かいのケアタウン徳洲会札幌南の
敷地内に立てた看板で、今回は病院側に出来た看板です。旧国道のバス停の後ろに
立っています。道路からもはっきり見えて、これで車で来た人もよくわかると思います。
今日は病院の今年最後の勤務日でした。明日から年末年始休暇です。
今年1年ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。
坊院長のつぶや記ブログ
✴︎
✴︎
昨日は夕方に皆既月食を見ることができました。2日前の新聞で札幌でも
夕方に皆既月食のまま月が昇ると出ていました。赤い月ですとも書いてあり
なんのことかなと思っていました。
そして、夕方外が暗くなっていって、仕事をしていたらふっと思いだし
外を見ると確かにうっすらと赤い月が見えるではありませんか!
皆既日食では月の裏側に完全に太陽が隠れるので、暗くなるようなのですが
皆既月食は地球の陰に完全に月が来るのですが、一部の光は月に届くため
赤く見えるようです。これは物理を習った人ならわかるのですが、光が
曲がるため起こる現象のようです。
短い天体ショーを満喫した一夜でした。
昨日、札幌パークホテルで病院の忘年会が開催されました。普段、病院内では
白衣や制服を着ている職員の方々が、背広だったり、きれいなドレスを着ていたり
とまったく違う雰囲気があります。毎年普段とは違った職員の方々を見ることが
できるのも忘年会の楽しみでもあります。
毎年、親睦会の方達が忘年会を盛り上げるために色々と企画をしてもらい、頭が
下がります。毎年、抽選会は行われており、景品が当たるごとに盛り上がるのです
が、どちらかというと当院の忘年会は比較的落ち着いた雰囲気の中、忘年会が
終わることが多いものでした。
ところが、今年はびっくりの隠し芸が出てきて 、みんな大笑い。
医事課の松田君を筆頭に、ソーシャルワーカーの下倉さんと大内さん、薬剤部の
矢後さんの4人でAKB48の歌の披露がありました。激しく踊る4人を前にして、
忘年会はとても盛大に終了しました。この場を借りて、この4人にお礼を言いたいです。
来年も頑張ろうと思って、ホテルを後にしました。
✴︎
昨日は、院内研究発表会でした。毎年、病院の忘年会の前日に開催することが
恒例になっています。
院内研究発表会とは何かと言いますと、各部署で行っていることをまとめて
学会や研究会などに発表することがよくあるのですが、それを病院の他部署の
人たちが聞くことはなかなかありません。例えば、ある病棟で一生懸命やった
研究テーマはさる学会で発表はされますが、それを直接私たち医師や病院の
他部署の人たちが聞いたりすることはほとんどありません。そういう場として
院内研究発表会があります。この発表会のメリットは、他部署の頑張っている
ことが見えてくることです。各部署の専門性が出た発表内容なので、なるほど
と思うことが多いのです。つまり、他部署の仕事をより理解でき、お互いの
仕事を尊敬しあうことができると思うのです。
今回は、全部で5演題が出されました。糖尿病内科の品田先生の「糖尿病患者
における米飯と動脈硬化の関係」、外来部門からは当院の禁煙外来の現状、
3階病棟からは「瘻孔処置の振り返りからチームケアの重要性の認識」、薬剤
部からは「院内製剤座薬の製剤学的検討」、在宅部門からは「在宅での看取り
における家族への支援が困難だった症例」という内容でした。
どれもが内容のある充実した演題でした。
今年は夏と冬に計2回院内研究発表会を行いました。各部署が頑張っている様子
が発表内容から伝わり、私としてもとても嬉しかったです。来年も続けていこう
と思いました。
✴︎
みなさんは日野原重明先生をご存知でしょう。あの聖路加国際病院の理事長であり、
数々の役職を兼任されている方です。
今回、日野原先生が札幌に来る機会があり、有志が集まって日野原先生の100歳を
祝う会が催されました。当院の副理事長である前野先生からのお誘いもあり、私も
参加させて頂きました。11月21日の昼から中島公園にある由緒ある豊平館での開催
でした。日野原先生は明治44年(1911年)10月4日生まれで正確には満99歳なので
すが、数えではもう100歳になったとのことで、今回100歳のお祝いの会が開催され
ました。いつも思うのですが、少し猫背ぎみではありますが、100歳とは思えない
ぐらいしっかりしており、きちんと挨拶はされるし、みんなで「ふるさと」を合唱
したのですが、その指揮もやられました。本人は、100歳の今までは助走期間でこれ
からがスタートラインでジャンプするんだと言っていました。その気持ちは本当に
凄い。だからこんなに元気でいられるんだと思いました。
私は日野原先生の半分にも満たない年です。あそこまでは頑張れないにしても、
元気をもらった会でした。
本日、日帰りで東京に出張してきました。 目的は徳洲会グループ1年次研修医
向けの講演会でした。
「ベッドサイドのコミュニケーション」という題目でお話しをさせてもらいました。
全国の徳洲会グループに今年の4月に入職した初期研修医は約100名で、各病院で
日々忙しい臨床を毎日こなしていますが、入職して約半年が経ち、自分たちがやって
いることを振り返ること、また全国の徳洲会の研修医同志の交流のため、今回1泊2日
で東京に集合したのでした。今回、徳洲会の研修委員会から講演の依頼があり、当直
の合間に日帰りしてきました。
内容は、がんの告知などの悪い知らせの伝え方(Breaking Bad News)の手順、私たち
が普段ホスピスで実践している患者さんとのコミュニケーション技術としてのベッド
サイドに座る、聴くについて話しました。研修医向けに話しながら、また自分もきちん
と実践できているのかと振り返る機会になりました。
今回の講演を聞いて、来年ホスピス研修に来てくれる研修医が増えるといいなと思って
札幌に戻ってきました。
✴︎
✴︎
今回の年次大会は東北地区で開催されたこともあり、テーマは「地域で看取る」。
どのようにして人生の終末期を地域の中で支えていくべきか、活発な議論がありました。
私は事情で、一日目しか参加しなかったのですが、昼のセミナーで聞いた小笠原内科の
小笠原文雄先生のお話がとても印象的でした。もともと循環器内科医でありながら、
開業したので在宅を始めてしまい、色々な患者さんとの出会いからいつの間にか
在宅緩和ケア医になってしまったとのこと。なんと在宅の死亡率が90%を超えている!
そこには、患者さん本人の家に帰りたいという気持ち。それを支える家族、スタッフの
がんばりがあることをセミナーを聞いてヒシヒシと感じました。
我々ホスピス病棟を運営しているものにとってもとても刺激的な内容で、家の力には
勝てないけれど、ホスピスマインドだけは常に大切にして患者さん・家族に関わることが
原点と思いました。
✴︎
10月23日秋晴れの旭川で上記の研究会が開催されました。
昨年から春と秋に研究会を行うこととして、春は札幌で開催し、秋は
道内各地で開催していくこととなり、今年は旭川での開催となりました。
特別講演として、聖路加国際病院緩和ケア科の林章敏先生を迎えてのお話し、
後半は「看取りの地域連携」と題したシンポジウムが行われました。
シンポジウムでは旭川の現場の人たちの声を直に聞くことができて
とても有意義でした。それぞれができることを一生懸命やっており、
それが十分伝わったディスカッションでした。印象的だったのは、今本内科医院
の今本先生のお話。今から10年以上前のまだ在宅医療が十分整備されていない
ころに癌であった義父を自宅で看取ったことの大変だったこと。家族の一員で
あり、主治医であり、また子供を持つ母親として色々なことをしなくてはなら
なかった時の大変さが今につながっているとのことでした。
こうした人たちに地域が支えられているのを感じた旭川での研究会でした。
先日、ホスピスの遺族会がありました。遺族会というのは、ホスピスから退院された方の
御家族をお招きし、御遺族とスタッフで故人を偲ぶ会です。
毎年1回開催しており、今回で5回目を迎えました。例年、過去3年間にホスピス病棟
で亡くなられた方、在宅で亡くなられた方の御家族に案内を送っております。
今年は35家族、約50名の御遺族が参加されました。
私としては、自分が関わった患者さんの御家族に会えることが、とてもうれしいのです。
患者さんは亡くなっていますが、その御家族と共にそのときに会った出来事などを話す
時間がとても幸せに感じます。また、みなさんから感謝の言葉を聞いて、また明日から
がんばろうという気持ちにさせてくれる会なのです。
今回もたくさんの御家族にお会いでき、とてもいい時間を持てました。病院での忙しい
毎日に疲れもたまるなあと感じている頃に、元気をもらった遺族会でした。
毎年10月の第2土曜日を「世界ホスピス緩和ケアデー(World hospice and
palliative care day)」と決め、世界各国のホスピス緩和ケア関連施設や団体が、
様々なイベントを開催しています。 ホスピス緩和ケアの啓発・普及、募金活動を
行うことなどが主な目的です。
日本ホスピス緩和ケア協会は2006年から毎年「世界ホスピス緩和ケアデー」
を最終日とした一週間(今年は10月3日~9日)を 「ホスピス緩和ケア週間」と
呼び、日本でのホスピス緩和ケアの普及に努めています。
当院も2年前からこの趣旨に賛同し、参加しています。
今後もホスピス緩和ケアが普及していくように当院が率先して努めていきます。
✴︎
当院は徳洲会グループの一員です。今回はその中の湘南鎌倉総合病院のことについて
お話しします。
湘南鎌倉総合病院は全国の徳洲会グループの中でも基幹病院と言われる病院の一つです。
1987年に地域住民の市民病院設立要望の署名運動などが実り出来上がった病院だったようです。
しかし、そのようにして出来た病院も最初の半年は救急車が1台も来なかったようです。
また、地域の開業医から患者の紹介があったのは、開院から1年を経過してからだそうです。
そんな病院が、今や一日の外来数1500名以上、年間救急車の搬入件数は1万台以上を
超える病院となり、鎌倉市だけでなく、周囲の地域からもなくてはならない病院になって
いるのです。そのためには地道な努力があったようです。
そして、開院から20年以上が経過し、とても古くなり、また手狭になったために、数年前
から新病院立ち上げのプロジェクトが始まりました。病院移転にはほとんどと言っていい程、
今立地している場所から新しい場所に移動することが起きます。
今回も同じ鎌倉市でも、線路を挟んで反対側に移転することになったようです。
2年前から新病院の新築が始まり、このほど完成。9月1日には入院患者300名超えの
人たちが一斉に旧病院から新病院へと移ったそうです。それには、全国の徳洲会グループ
から救急車が15台も駆けつけ、患者搬送のお手伝いを行い大きなトラブルもなく無事全員が
新病院に引越できたとのことでした。
今回、その新・湘南鎌倉総合病院を見学する機会がありました。今まで、いくつもの徳洲会
病院に行くことがありましたが、まったく感じの違うすばらしい病院でした。そこで働く
スタッフはとてもうらやましいと思いました。
当院も築23年が経過しているようです。ホスピス病棟はまだ比較的新しいですが、やはり
今後は新築移転も考えに入れないと行けないと感じた今回の病院見学でした。
✴︎
9月22日は十五夜。ホスピス病棟でお月見のイベントがありました。空は朝から
曇り空。せっかくの十五夜なのに雲に隠れて満月が見られないのではと思って
いましたが、夕方になって日が沈み始めた頃から、雲が少なくなり東の空に
くっきりと満月が現れたのでした。今日のイベントにぴったりの空になりました。
イベントの中では、ホスピススタッフの1人が作った紙芝居を行いました。月に
ちなんだ話はもちろん「かぐや姫」 急造のミニ劇団員が紙芝居を読み、それぞれ
役になりきりました。私が務めた役は5人の立派な若者。かぐや姫に求婚する
5人の若者を担当しました。5人の声色を変えるのは大変でしたが、みなさんは
楽しんでもらえたようです。
院長もいろいろとすることがあり、大変です。
それではまた。
✴︎
先週の土曜日9月18日に内藤いづみさんの講演会が札幌市教育文化会館で
ありました。
内藤いづみさんのことを少し紹介させてもらうと、在宅ホスピスを以前から
やっていらっしゃる方で、20年前に訪れたイギリスでホスピス運動に触れ、
もはや病気を治せないと分かり、死を遠くない未来に控えた人に医療は何が
できるのかと感じたときに、そこに「ホスピスケア」があるとわかり、それ
を自分の生業としようと決意し、まだ日本にまったく根付いていない時期
からホスピスケアを始めた方です。
15年前に地元の山梨で開業され、がんの人を家で看取ることに一生懸命とり
組んでいます。内藤さんは、
「在宅ホスピスは、患者さんと家族が深く、改めて“いのち”に向かい合う
場、『ありがとう』と『さようなら』がひとつになる瞬間がそこにある。」
と言われています。
今回の講演会は「命の縁~えにしにつなげる」と題して、1時間半の講演会
でした。内藤さんの話術にはまり、話の内容や出てくるスライドに引き込まれ
あっという間に時間が過ぎました。
私も日々ホスピス病棟で死と向き合い、いのちに関わることが多いのですが、
今回の内藤さんの講演会で心に残った言葉は、
「ターミナルケアは子育てと同じ。患者さんと家族を見守る、成長するのを
待つのです。」というところでした。
死を間近に控えた患者さんとその家族。つい私たち医療者が手をさしのべて
しまうことが多いのですが、それは患者さんや家族が人間として成長する機会
を妨げてしまうことがあるということ。子育ても干渉しぎてもいけないし、
成長を見守ることが大切である。ここに共通点があるということでした。
とても共感する内容でした。
今回、縁があり、内藤いづみさんとは知り合いになることができました。
この出会いを大切にしていきたいと思いました。