第6回 「Hope 希望」
人はどのような状態にあっても「希望」が無いと生きられないといいます。強制収容所アウシュビッツから奇跡的に生還したV.E.フランクㇽは名著「夜と霧」の中でこのことを書いています。収容所の絶望的な状況の中で人々は希望を失い、次々と死んで行きました。しかし、フランクㇽはどのような絶望的な状況の中にあっても、生きる目的を持つこと、希望を持つことは可能であると考えました。そして、そのことのみが生きるための唯一の道であることを見出したのです。彼は自身の体験を通して、どのような状況にあっても、今を大切に生き、生きる意味を見出すことは可能であり、そのような人は生きる希望を見出すことができると言います。
WEBセミナー第4回と第5回では、「おもてなし」と「癒し」についてお話ししました。これらは私たちがある程度提供できることです。しかし、私たちは患者さんに「希望」を提供することはできません。「希望」は人が自ら見出すものだからです。ただ、唯一希望を与える可能性のある職種があります。それは「宗教家」です。病院付きの宗教家を「チャプレン」と呼びます。我が国においてチャプレンを職員として配置している病院はきわめてわずかです。
私は一時期淀川キリスト教病院でホスピス医をしていました。この病院では病院付牧師(チャプレンが)数名勤務していました。そして、患者さんに対し、宗教的なケアを提供していました。私が働いていたホスピス病棟においても、年間数名の方が洗礼を受けて、旅立たれました。その方たちは自分が死んだ後、永遠の命を持つというキリスト教の救いを信じ、死を前にして天国への希望を持って旅立たれたのです。
私たち医療者は宗教家と違い、希望を提供することはできません。しかし、患者さん・ご家族が持つ希望を支えることはできます。あるいは希望を見出すお手伝いができる可能性はあると思います。
自宅でご主人とお二人で過ごしていた60歳代の胃がんの女性は、在宅ホスピスケアを開始したのが3月下旬でした。その方は「桜を見たい」という希望を持っていました。札幌で桜が咲くのは例年5月の連休明けです。ぎりぎりのタイミングでした。私は、何とかその方の思いをかなえたいと考え、桜をバックにしたご夫婦の絵を描かせて頂きました。少しでも桜を観る雰囲気を味わっていただきたいという思いからです。その絵を彼女は大変喜んで頂きました。幸いそのご婦人は家の近くの桜が咲くのを見ることができ、6月に入って亡くなりました。
また、ある男性患者さんは、長女の結婚式に出席することを目標として心待ちにして体調を整え、何とか車いすで出席することができました。その後、彼は安心したかのように旅立たれました。
また、ある女性の患者さんは長女の出産まで何が何でも死ねないと言って頑張り、とうとう待望の孫の顔を見ることができました。その方がお看取りの時、同じお部屋で生まれたばかりの男児が産湯を浸かっていました。正に、生命のバトンタッチが行われた感動的な瞬間でした。
たとい病気が治らなくても、たとい死に臨んでも、人は希望を持つことができます。そして希望を持ち続けることができた人は死ぬまで力強く生きることができると思います。私たちの病院はそのような患者さん・ご家族のご希望を最後までお支え続けることを約束いたします。
理事長 前野 宏