第1回「ホスピスのこころとは弱さに仕えるこころである」
私達のグループ、札幌医療生活協同組合は札幌南青洲病院、ホームケアクリニック札幌の二つの医療機関からなっています。当グループの中心理念は、「ホスピスのこころを大切にする病院(クリニック)」です。そして、「ホスピスのこころとは弱さに仕えるこころである」と定義しています。その意味するところは、患者さんも医療者も共に死にゆく存在であり、弱さを持った人間として平等、対等であるということです。
次回、詳しくお話ししますが、医療が発達し、多くの病がコントロールされ、人間の平均寿命は長くなりました。しかしながら、それでも人は最後の時を迎えます。いかに近代医療が発達しようとも人は死を避けることはできません。病と闘い、死と闘う医療は必ず最後は敗北するのです。人はどこかで自分の死と向き合わなければなりません。そして、その人がその人らしい終末期を過ごし、その人が希望する最期を迎えるために、医療者もまた、死と向き合わなければならないのです。医療者が患者さんを死なないように命を長らえるだけの医療を提供し続けるなら、上記のようなことは達成できないでしょう。医療者もまた、死と向き合わなければならないのです。医療の限界をわきまえ、患者さんがその人らしい穏やかな終末期を過ごせるように援助しなければならないのです。その時に必要な考え方が「ホスピスのこころ」です。
当院は1996年、以前の経営者が交代し、徳洲会グループに入りました。その時、病院の名称も現在の札幌南青洲病院となりました。その当時、当院は外科手術や心臓カテーテル検査をするような急性期病院でした。しかし、札幌市内には徳洲会グループの急性期病院が札幌徳洲会病院と札幌東徳洲会病院があり、当院は病院の方向性の転換を迫られていました。そのような時期の2001年4月に、私(前野)が院長に就任し、病院が進む方向を転換することになりました。すなわち、それまで育んできた急性期医療やプライマリーケアを生かしつつ、専門的なホスピス緩和ケアが提供できる施設へと転換を計ったのです。そして、私が就任した時から病院の理念として「ホスピスのこころ」を掲げました。長年かけて築かれたホスピスの思想や学は病院運営の基本にすることができると考えたからです。
私が院長に就任した当初は、まだまだ職員の中に「ホスピス」とか「ホスピスケア」という言葉は定着していませんでしたが、2003年12月に当院のホスピスケアの象徴としてホスピスセンターを増築してから、本格的なホスピスケアをスタートすることができました。そしてそのころから、やっと職員の中にも「ホスピスのこころ」が定着し始めました。
「ホスピスのこころ」を病院の理念としてから、15年あまりが経過して当院はどのように変わったでしょうか。
1)患者さんと職員の距離が縮まった:「ホスピスのこころ」は患者さんも医療者もどちらもいずれ死にゆく、弱さを持った存在として対等であるという考え方です。従って、当院には患者さんの前で偉そうにする医者は一人もいないと思います。(いたら教えてください)結果的に、患者さんやご家族は医療者にご自分の苦痛を訴えたり、ご希望を伝えたりすることが容易になったのではないでしょうか。
2)職員間の距離が縮まった:医療はすべて、チーム医療ですが、急性期のチームはどちらかというと医師が指示をして他のスタッフが動くという縦の関係です。それに対し、ホスピスケアは横の関係のチーム医療です。それは、医師も看護師もそれ以外のあらゆる職種のスタッフそれぞれが専門職として対等の関係なのです。ホスピス病棟では、点滴1本スタートするにも、何か検査をするにも看護師の意見を尊重します。すべて話し合いで決まってゆく文化があるのです。
3)患者さんにとっても職員にとっても居心地のいい空間になった:患者さんの言葉の中でうれしいもののひとつに「ここは病院らしくないですね。」というものがあります。一般的な病院は、怖いことをされるところ、できれば行きたくないところ、といったイメージがあると思います。「病院らしくない」ということは、「居心地がいい」ということだと思っています。それは、職員にも当てはまると思います。「ホスピスのこころ」が浸透することにより、職員同士の人間関係が良くなり、信頼関係が深まることにより、職員にとっても「居心地の良い」場所となったと思います。そのことが、結果として良い医療、良いケアにつながってゆくものと確信しています。
理事長 前野 宏