急遽、出張が入り岸和田徳洲会病院に行ってきました。岸和田はだんじり祭りで有名ですが、それ以外
にも平成23年10月から半年間NHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」で舞台となったのが、
その岸和田でした。私も現地に着くまでは、まったく見落としていました。
実は、岸和田徳洲会病院に行って、是非見たいものがありました。それは、故井村和清先生の使っていた
診察机を見たかったのでした。
みなさんは、『飛鳥よ、そしてまだ見ぬ子へ』という本をご存知でしょうか。骨肉腫のために右足を膝から
下で切断。のちに肺転移が見つかり若くしてこの世を去った医師井村和清さんが家族に対する思いを綴った
本です。飛鳥は長女さんの名前で、まだ見ぬ子とはその時妊娠していた子供のことでした。
本はベストセラーとなり、映画も制作されており、最近では2005年にテレビドラマにもなっています。
知っている方もい多いのではと思います。
その井村先生が勤めていた病院が昭和52年開院したばかりの岸和田徳洲会病院だったのです。
29歳という若さで、岸和田徳洲会病院に勤めましたが、その年に右膝の骨肉腫がわかり、11月に右下肢
を切断。抗がん剤治療、リハビリを経て、約半年後に職場に復帰。その時に、不自由な足で診療を続ける
ためにスタッフが手作りの診察机を作ってくれたのでした。その机が岸和田病院の中に飾ってありました。
井村先生は、病気が進行してもギリギリまで診療を続けました。そしてこれ以上無理と言うところまで
診療を続け、12月に岸和田病院を去って行きました。その時に職員向けに話したことが次の3つの悲しみ
です。
『私の心には三つの悲しいことがあります。一つめは、どうしても 治らない患者さんに何もしてあげられない
悲しさです。二つめは、お金のない貧しい患者さんが、病気のことだけでなく、お金のことまでも心配しなけ
ればならないという悲しさです。三つめは、病気をしている人の気持ちになって医療をしていたつもりでも、
本当には病気をしている人の気持ちにはなれないという悲しさです。ですから、私は皆さんに、患者さんに
対してはできる限りの努力を一生懸命していただきたいのです。 』
この言葉はとても重みがあります。いつも忘れずにいたいと思うし、こんな先生が徳洲会にいたことを僕たち
は誇りに思います。