カテゴリー: 病院関連 

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    徳洲新聞の直言

    みなさん、こんにちは。今日は札幌はいい天気になりました。ちょうど低気圧が通り過ぎる谷間だからで
    しょうか? 真冬なのになんとなく穏やかな気分になっています。予報では明日から荒れるようです。
    もちろん北海道は広いので旭川なんかは朝からどんどん雪が降っているようです。

    さて、表題の新聞をご存知でしょうか? 徳洲会グループの広報紙として毎週発行されています。毎週
    月曜日に本部から送られてきて、火曜日には病院のロビーに置いてあることが多いです。徳洲会グループの
    病院に通われている方ならご存知だと思います。合計4ページの小さな新聞ですが、グループの各病院での
    取り組みなどが紹介されています。当院もちょくちょく取材を受けて出ることがあります。私も何度も
    インタビューを受けました。

    さて、その新聞ですが必ず2ページ目に「直言(ちょくげん)」というコラムがあり、色々な方たちが書いて
    います。徳洲会グループの前理事長の徳田虎雄先生が元気なときは、ほぼ毎週のようにそこに徳田先生が
    みんなに言いたいことを書いていました。しかし、病気になられてからは各病院の院長が順番に書くように
    なっていきました。
    と、書けばみなさんわかると思いますが、今週号は私が書いた直言です。久しぶりでしたが思いは伝わるかな
    と思います。徳洲新聞が手に入らない方は、徳洲会グループのホームページの徳洲新聞のところから入れば
    読めます。と、宣伝になりましたが、ちょっと恥ずかしいですね。

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    本格的な冬到来

    みなさん、こんにちは。週末に大きな寒波が来て北海道にも本格的な冬が到来しました。
    私は週末に日本死の臨床研究会年次大会に出席するために新潟に出張していましたが、その間に雪が
    しっかりと積もっていました。寒さも本格的で、日曜日の夜に新千歳空港に降り立ったときには
    いよいよ冬だなあと思いました。

    気がつけば12月も半ばになりました。ふと考えると、昨年の12月1日には当院には大きな出来事が
    起こっていました。そうです。病院名の変更です。詳しいことは昨年のブログに書いてあるので
    参照していただければいいですが、早いものです。何か昨日の出来事のような気がします。
    そして、今日も診療して気づいたのですが、毎日パソコンの画面を見ながら診療録を記録しています
    がなんと電子カルテを導入して3年以上も経ったのです!(@@)(◎・◎)
    みんな当たり前のように電子カルテを使っているのですが、3年前はまだ紙カルテだったんですよ。
    どれだけ楽になったことやら。(ただし、9月の北海道胆振東部地震の際の停電には参りましたが)

    電子カルテ前の紙の時代、古い病院名の”札幌南青洲”。なんて懐かしいでしょう。(と、ちょっと
    感傷にふけってしまいました。)

                    (以前、中央バスに貼ってあった広告です)

    そうそう、今日で当院のインフルエンザワクチン接種は終了してしまいました。例年通りにインフル
    エンザワクチンの量は確保していたのですが、11月中旬頃から周囲の病院・診療所でワクチンの在庫
    が無くなったようで、当院へかなりの人が流れてきました。そのため予想以上に当院のワクチンが
    使われてしまい、とうとう今日で無くなってしまいました。もう入荷の予定もありません。特に昨年の
    ようにマスコミでも騒いでいなかったし、11月中にはまだインフルエンザの流行の無かったのに何故?
    という感じです。
    ワクチン接種も大事ですが、毎日の手洗い・うがいと体調管理も大切です。しっかり睡眠を取りま
    しょう。(最後は健康講座になってしまいました。)

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    窓ふき

    朝はすごい雨でしたが、午後から晴れてきて雲も切れ始め秋の空になってきました。
    ふと昼休みに院長室から外を眺めていると、窓の汚れが・・・。以前からちょっと汚いと
    思っていましたが、気になると掃除がしたくなってしまいました。

    備え付け(?)のぞうきんを取り出し、内側の窓を外してせっせと窓拭き。ぞうきんには
    すごい汚れが付きました。綺麗になった窓。

    元の位置に戻して窓拭き終了。外側の窓は危なくて拭けませんでしたが、きれいになって
    気持ちがすっきり。

    そんな日でした。(院長が何をやっているのか!と言うツッコミはご勘弁を :-o)

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    北海道地震に伴う停電での出来事(その2)

    (長くなり、続きです)
    2日目(9月7日)の朝3時頃、医局のソファの上でふと目が覚めました。ちょうど地震発生から
    24時間が経過していますが、まだ外は暗く電気の復旧はしていませんでした。この時期の札幌の
    日の出は5時過ぎ。4時頃になれば外は明るくなってきます。ですからまだまっ暗な状態。病院内
    をぐるっと回りましたが、大きな異常は無くてほっとしました。自家発電による電気のお陰で、
    病棟のナースステーションの蛍光灯はとても明るいですが、病室や廊下・階段はまっ暗な状態。
    手持ちのライトで床を照らしながらの移動しました。
    1階のロビーに降りると、事務長やその他の職員が長椅子の上で寝ていました。起こさないように
    そっと側を通りました。

    もう一度仮眠を取り、起きたのが5時過ぎ。外は明るくなっていました。病院の方は特に変化が
    無かったので、一度液状化現象が起きたところを見に行っておこうと思い、外に出かけました。

    病院の裏側から歩いて行くと3分ほどでその現場に着きました。以前、訪問に行っていた患者さん
    の家の隣の家のところから液状化が起こって、アスファルトが波打っていました。ちょっと先には
    テレビでも写っていた紺の車が泥の中にはまっていました。来た道を引き返し、別の方へ歩いて
    行くと夜の間ずっと復旧工事をしている人たちがいました。
    これ以上は病院を離れてはいけないと思い、再び病院に戻りました。

    地震発生から翌朝を迎えていました。自分の自宅は大丈夫と妻から連絡はもらっていましたが、
    一度見に行った方がいいと考え、事務長に伝え自宅へ戻りました。自転車で自宅へ往復。一部の
    信号は点灯していましたが、ほとんどはついていませでした。大きな交差点では警察官が交通整理
    をしてくれたお陰で安心して渡ることができました。
    自宅では、家族が無事一夜を過ごし、保管してた水や残った食べ物を食べていて、特に困っている
    様子はなかったようです。子供たちは学校が休みになったため、手持ち無沙汰なようでした。
    自宅で朝ご飯を食べ、少しだけ鋭気を養い再び病院へ。

    朝8時前から再び1階のロビーに職員が集合し、今日からのスケジュールが始まりました。
    朝6時の時点で電源の復旧の目途はなし。まだ断水も継続していました。車の燃料は近くのガソ
    リンスタンドのご厚意により当院の車に優先的に配給してもらいました。
    自家発電の方は、いくつかの方面から確保ができ、まず夕方までは軽油が確保できました。
    それよりも電源の復旧に関しては、各方面からのサポートで2日目の昼過ぎに電源車が確保でき
    そうな連絡がありとてもうれしい知らせとなりました。もし電源車が到着すれば、ほぼ電気の
    心配が無くなり、通常の通り電子カルテなどが使える状態になるとのことでした。
    また、札幌市水道局も断水が続くと受水槽の水が足りなくなることを伝えたところ、給水車を派遣
    してくれました。

    実は、1日目の夜からすぐ近くにあるガソリンスタンドとコンビニの電気がついており、病院の
    後ろの家の電気もついていたので、もうすぐ電気が来るだろうと淡い期待をしていたのですが、
    全然電気が来ません。次の日の昼近くになってもまったく電源の復旧の気配はありませんでした。
    ラジオからの情報では、苫東厚真の発電所がダウンし、全道が停電していて、順次発電所を稼働
    しているけれど全部復旧するにはかなりの時間がかかりそうということはわかっていました。

    朝の会議で、2日目の診療は基本的には制限しながら、歩いてくる患者さんの診療は継続(電気
    はないので、検査などはできないが、投薬はできるので、その旨を話して受付とした)しました。
    救急受け入れは基本的には断りましたが、通院患者さんで在宅酸素が必要な患者さんは2名入院と
    しました。それ以降は入院も中止としました。
    透析に関しては9月7日の透析は中止。明日以降に出来ることを見越して、中止としました。

    そこまでを決めた後は、各自が持ち場の仕事をこなして行きました。私はラジオから流れる情報を
    常に収集していました。
    午前中は、予想以上に外来患者さんが来院され、20名以上が診察を受けました。

    午後になり、電源車が来るという情報も来たのですが、結局まだ動けないということで、夕方
    まで持ち越しになりました。
    燃料の方は、順次確保することができ、自衛隊からのサポートがありドラム缶1缶を置いていって
    くれたお陰で、翌朝まで自家発電の燃料の心配はなくなりました。

    そうして時間が過ぎ、日が暮れ1階のロビーがどんどん暗くなっていきました。停電が続いたまま
    2日目の夜を迎えました。
    17時過ぎに1階のロビーに全員が集合。病棟の食事を配膳した後は、ほぼ急を要する仕事は
    無くなったため、夜に向けたの体制を整え、明日の準備のため必要な人以外は各自自宅待機と
    なりました。
    残った人は、電源車がもし来て電源が復旧したときに備えて待機。電源復旧の際は、電子カルテ
    のサーバーを立ち上げて、動作確認。また、翌日からの透析が出来るように準備するための
    メンバーと数名のサポートの人間のみが残りました。

    20時を過ぎても、電源車はやってきませんでした。もう今日もこのままかなと思っていたときに
    いきなり「バン、バン、バン」と1階のロビーの電気が点灯しました。
    「え?え?え?」「電源復旧???」 ようやく電気が戻りました。「本当だよね? 嘘じゃ
    ないよね。また切れる?」などと言いながら、もう大丈夫でしょうと思い、思わず拍手を
    してしまいました。

    それからはすぐに電子カルテのサーバーを立ち上げてもらいました。透析のスタッフには
    明日からの透析の準備を始めてもらいました。
    22時にはサーバーが完全に復旧し、電子カルテの動作を確認しました。そして23時には透析の
    準備もOKという連絡をもらいました。
    ほぼ明日からの診療はできると判断しました。

    23時30分すぎ、透析責任者の副院長と一緒に家に帰りました。地震発生の6日の朝3時過ぎから
    約44時間が経過してました。まだ水道の断水のことは残っていましたが、電気が戻り明日から
    通常に戻ると思い、ほっとして家に向かいました。

    病院から帰る道、もうほとんどの信号と電灯がついていました。ほぼ電気が元通りになったと
    思いました。自宅前の電灯もついているので大丈夫と思い、家に入ったところ、真っ暗。
    「ん?」 声をかけても誰も起きません。それに家の電気は何もついていない。何?
    あ!ブレーカー落としている!と思いました。まあ、偉いですね。
    ブレーカーを入れると、家の電気が点灯しました。冷蔵庫のスイッチも入りました。

    ほっとして、眠りにつきました。

    (以上、長い文章でしたが、電源復旧までの小さなドラマでした。)

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    北海道地震に伴う停電での出来事

    みなさん、ご無沙汰しております。今回は、北海道胆振東部地震および全道の停電で色々な方から
    心配していただきありがとうございました。

    今回はちょうど札幌市清田区里塚で地震で起きた液状化現象の起こった付近のすぐ近くに
    当院があり、またその液状化現象で流れ出た泥が病院前の道路を完全に塞いでしまい、
    そのため報道などにも何度も出たようで、全道停電のためテレビやネットの映像を見ていない
    のは当院の職員ぐらいという状態が続きました。

    以下、私の経過です。(記憶のみで書いているので、経過は前後しているかもしれません。また
    冗長な長文になってしまいました。)

    私は3時8分の地震発生でたたき起こされ、家族の無事と家の無事を確認。すでに停電状態のため
    懐中電灯で家の中を動く状態でした。余震は心配しましたが、病院へ行く準備をして家を出発
    しました。車で行くより、自転車の方が安全と判断し、病院へ向かいました。
    病院に向かう途中はすべての信号、電灯が消えている状態で、夜空の星がとてもきれいで、
    オリオン座がとてもはっきりと見えました。

    病院近くに来たとき、いつも坂道を下って病院に着くのですが、その坂道の手前で迂回路を示す
    看板が立っていました。(この時点でまだ交通整理する人はいませんでした。)
    何でこんな看板があるんだろう?と思いながら、看板を避けて、いつもの坂道を下っていくと
    その先になんとなく水がついているような感じが見えました。そのまますっと下っていくと
    自転車が泥水にはまりかけ、危ない危ないと思い、左側の歩道の方に乗り上げたのですが、
    そこもまだ泥水で自転車から降りました。少し、自転車を押しながら進むと、道路全体が泥水
    で覆われいる状態でした。病院と反対側に降り立っていたので、この泥水の道路を渡って反対側
    に行かないと病院に行けないと思い、渡ろうとしたら、足が泥に取られてしまいました。ちょうど
    近くにいた人から、さっき向こう側に渡ろうとしてはまっていましたよと聞かされ、無理して
    この道路を渡らない方がいいと判断。今来た坂道を引き返し、違う道から病院に行こうと
    思いました。そして、坂道を少し上がって、左に折れて行こうとしたら、今度は崖のようになり
    水が吹いているところに来てしましました。(実はそこが今回、報道されている液状化現象で
    陥没してしまったところでした) まだ日が上る前だったため、よく前方が見えなくて、ここを
    無理して渡るより、さらに遠回りして病院に行った方がいいと思ったところ、ちょうど看護部長
    から病院前の道路は泥水で通れず、国道から回った方がいいと電話が入りました。
    それで、ぐるっと遠回りして病院に到着したのが、4時10分頃でした。

    病院に到着するとすでに、かなりの職員が出てきてくれていました。看護部長、事務長もすでに
    到着しており、1階のロビーが緊急会議をする場所になりました。
    ホワイトボードに今起こっていること、これからの必要なことなどを次々に書き入れ、情報共有
    が始まりました。
    病院の被害状況の確認、停電に伴う自家発電が始まっており、その燃料確保の問題、断水には
    なっていましたが、当院には受水槽があったお陰で病院内の水道に関しては当初は大丈夫である
    こと、液体酸素もまだ十分にあることなどなど、ボードに書き出しながら順次進めていきました。

    9時過ぎには幹部を中心に対策チーム(?)を編成。各担当部分を決め、その都度大事な判断を
    相談しながら決定していきました。診療に関しては、大幅に制限。入院依頼などの判断は院長の
    私が担当、透析に関しては副院長に取り仕切ってもらい、病棟のことは看護部長が。燃料確保や
    車や部品なの手配、外とのやりとりなどは事務長が担当。小さい病院だったからこそ、いつもの
    コミュニケーションが威力を発揮しました。

    2時間ないし3時間ごとに1階のロビーに集合し、情報共有をしながら電源の復旧を待っていました。
    停電後からの一番の懸念は自家発電のことでした。燃料の軽油の備蓄は限られており、その確保が
    常に問題になりました。(それが、結果的に看護師たちが自発的に『燃料』と書いた紙を病院の上
    からテレビカメラに向かって出したことに繋がったのかもしれません。)

    燃料は当初は近くのガソリンスタンドで確保できたのですが、それもすぐに追加はできなくなり、
    午後には遠くまで確保に行きました。そのうち、保健所から燃料の配送希望の問い合わせがあり、
    一度燃料車が来てくれました。

    また、停電のため、電子カルテはまったく使えない状態でした。サーバーもダウンしており、
    通常の診療は出来ない状況であり、また現在入院患者さんのデータも簡単にはわからない状態で
    した。唯一、無線ネットワークから昨日までのデータを見ることが出来るノートパソコンが1台
    あるのみでした。当初はそのパソコンで患者データも見ることができたのですが、徐々に無線回線
    が不安定になってしまい、結局は停電初日はほとんど使えない状態になってしました。

    時間経過は前後していますが、そういう中で連携している在宅の診療所からALS(筋萎縮性側索
    硬化症)の患者さんの入院依頼がありました。以前、当院に入院しており昨年自宅へ退院して
    いった患者さんでした。私の中では、自家発電の燃料の心配はありましたが、自宅で困っている
    人を助けないと行けないと思い、みんなにALSの患者さんの入院依頼を告げ、すぐに動いてもらい
    ました。当院まで来るのにも大変だし、当院の救急車に職員を乗せて迎えに行ってもらいました。
    10時過ぎには無事病棟に入院。もちろん電子カルテは使えませんから、古い紙カルテを運用して
    代用しました。

    停電のため、光が入らない当院の1階のロビーは真っ暗で、外が明るいのにロビーの暗さに
    びっくりする人も多かったと思います。その後も、在宅酸素を使っている当院の通院患者さん
    から酸素を使わせてほしいと連絡があり、次々と外来へ。一般外来は制限していましたが、
    こんな風に困っている人は受け入れるしかありません。酸素バルブがあるベッドで酸素投与を
    続けてもらいました。

    その後も何人かの在宅の先生から入院依頼があったのですが、すでの病室が満床状態でもあり
    また自家発電の継続心配もあり、心を鬼にして断らせてもらいました。(困っている人を助ける
    のが徳洲会グループの精神なのですが)
    結果的にはそれが後で良かったことになりました。

    副院長が以前、札幌医師会の災害救急の講習会に出ていたことがあり、EMIS(広域災害救急
    医療情報システム『イーミス』)というものに登録していました。この災害時にスマホ経由
    で当院の状況を報告したと聞いていました。
    そうしたところ、保健所からの問い合わせがあり、そのときには燃料の件を報告できたし、
    また厚労省からも病院の状況の問い合わせもありました。一番助かったのはDMATチーム
    から人工呼吸器の患者さんの問い合わせでした。その時点で当院には緊急入院したALSの
    患者さんを含め計4名の人工呼吸器が必要な患者さんがいました。自家発電の燃料が十分持つ
    保証が無かったため、その時点でDMATチームに人工呼吸器患者さん4名を別病院へ搬送して
    もらうことを決断。夕方17時以降に順次搬送してもらいました。2名は近くに降り立った
    ドクターヘリに乗って、北海道大学病院へ。残りの2名は別々の救急車で北海道大学病院へ
    搬送していただきました。

    また停電直後からの懸案は透析患者さんでした。副院長も電源復旧を見越しながら、決断の
    時間を見極めながら情報収集しました。もし停電翌日に復旧することが確実なら透析自体を
    1日伸ばすだけなら大丈夫ですが、それ以上になるとまずいことになることは分かっていま
    した。停電発生当日には早い段階で当院での透析は中止と判断しましたが、関連病院である
    札幌徳洲会病院が復旧しており、9月6日に限ってなら透析患者さんを全員受け入れ可能と
    言われ、全員搬送して透析することになりました。通院透析の患者さんは迎えに行って
    札幌徳洲会病院へ搬送。透析を終えたら自宅へ送り届けました。当院入院中の患者さんは
    順次当院の車を使って搬送。透析を終えて、当院に連れて帰ってきました。最後の透析患者
    さんが戻ってきたのは21時30分頃でした。今、振り返れば停電当日に透析出来る患者さんを
    全員札幌徳洲会病院で透析しておいたのが、翌日の余裕に繋がりました。

    人工呼吸器の患者さんや透析患者さんのことが一通り落ち着き、朝からずっと働いていた
    職員を順次帰していき、なんとなく1日目の夜を安堵しながら迎えようとしたときに、ふいに
    ある女性がロビーに入ってきました。なんとなく頼み事がありそうで、話を伺うと当院に
    通院中の患者さんが在宅酸素のボンベを大事に吸っていたが、残りが少なくなって不安そう
    にしていたので連れてきたとのこと。名前を伺うと私の患者さん! 病棟の空きベッドを
    確認しすぐに入院してもらいました。ご本人も入院出来てほっとしていました。

    夜になっても電源復旧の見通しは立ちませんでした。札幌市内でも一部電気が開通したと
    いう情報が入ってきて、病院のすぐ隣の家の電気が点灯し、ガソリンスタンドの電気が
    ついたのと、その周辺の街灯がついたときはもうすぐこちらまで来ると期待しましたが、
    まったく復旧の気配はありませんでした。

    自家発電のエンジン音が響きながら、各自横になる椅子やソファを見つけ、各々が仮眠を
    取りました。私も医局のソファで仮眠を取りました。
    そうして、1日目の夜が更けていきました。

    (長くなったので、つづく・・・)

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    東京も暑かったですが、札幌も暑いです

    週末は徳洲会グループの会議があり、東京出張でした。台風12号が本州に接近しているので、もしかしたら
    千歳空港から羽田空港への飛行機が飛ばないのではないかと、ちょっと期待しながら先週の土曜日を迎えましたが
    まったく影響なし。朝1番の飛行機は順調に飛び、羽田空港へは予定通り着陸。若干飛行機が揺れたような気も
    しますが、時間通り到着。雨の予報ではありましたが、まだ羽田空港には本格的な雨もなく、また連日の猛暑が
    嘘のような気温で札幌と大した気温差を感じませんでした。リムジンバスに乗って、いつもの会議のある千葉の
    会場へ。ちょうどついた頃に雨が降り始め、ラッキーと思いました。
    土曜日の午後から翌日の日曜日昼まで会議。(もちろん、夜はホテルでゆっくり眠りましたが)いつも大変とは
    思うのですが、他の病院が頑張っているのを見て、僕も頑張ろうと思ったり、意外な人の講演が聴けたりと出張に行って良かったと思うこともあるのです。

    今回は、認定NPO法人ささえあい医療人権センターCOML(コムル)の山口育子さん(理事長)の講演会があり
    ました。
    実は、このCOMLの前理事長・辻本好子さん(故人)の講演を私は大学1年生の授業の時に聴いたことがありま
    した。1年時の社会学の教授が辻本好子さんをわざわざ読んでくださり、話を聞いたのでした。そのときはまだ
    医者になる前の卵状態。でも、そのときに聞いた「医者と患者の間には目に見えない深い谷があるんです。それを
    埋めるためにも医者および患者が歩み寄ることが必要だ。」と話されたことが印象的でした。今回は、COMLが
    発足して20数年が経過し、その中で色々なことが起こったことを短時間でまとめてお話してくれました。発足した
    1990年の頃はまだ病名の告知がほとんどなされていない時代。患者が何も質問が出来ないという状態からは、
    インフォームドコンセントという言葉が一人歩きし、『詳しい専門的な説明を長時間かけて実施する』になって
    しまったという現状を話されていました。今の若い先生は、本当に時間をかけて丁寧に説明をしてくれるよう
    ですが、本当に患者が理解しているかと言ったら、かなり疑問があるようです。理解ができないことにも患者側
    にも問題があることを山口育子さんはお話していました。以前は、情報がないために何も分からなかったですが、
    現在のようなインターネットで容易に情報が手に入ると場合によっては医者より情報過多で分かったつもりに
    なって、逆に分からなくなることもあるようです。医者側もしゃべりすぎなのかもしれませんが、患者も問題が
    あるとお話していました。やはり口頭ですべてのことを理解することは難しいので、患者にメモを取るように
    勧めたらいいとアドバイスすること。また何が理解できていないかを確認することと言っていました。会場に
    いた皆さんが真剣に耳を傾け、明日からの仕事に繋がるいい講演でした。

    連日暑い日が続いています。しっかり食べて、しっかり寝て暑い夏を乗り切りましょう。

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    7月になりました。

    みなさん、こんにちは。気がつけばもう7月に入りました。このところ雨ばかり続き、湿気も高く不快な日が
    続いていますが体調はいかがでしょうか。

    ブログの更新も途絶えており、すっかり工藤看護部長には遅れを取っております。出張に行ったり、学会に
    行ったり、先々週はNPO法人ホスピスのこころ研究所の設立記念講演会があったりと話題は色々とあるのですが、
    いざブログを書こうとするとなかなか書けずに時間が経ってしまいますね。何か書こうという体の中から出てくる
    ものが無いと進まないのかもしれません。これは体調に寄るのでしょうか?

    今日は、新しいことがあったので少し書く気になりました。先月も書きましたが、この6月で院長になって8年も
    経ちました。振り返れば、最初は何をしたらいいか分からなくて、走り回っていました。
    そういう中で、院長になったときに夢を持つことが大事だと思い職員の前で話したのが『新病院建設』でした。
    その時点でこの病院はすでに築20年を超えており老朽化も進み、時代に合わせて建物も変化が必要と考えての
    目標でした。
    それでも、なかなか物事は前進しないことは予想していました。札幌徳洲会病院に勤めていた時代にも新築移転の
    話はずっと話題に上がっていました。そのときの院長や事務長が会議で何度も新築移転候補地の話をしていること
    を聞いていました。でも、移転候補地が出ても計画で終わったり、ようやく決まりかけたのにマンション用地に
    なってしまったりと新築移転というのは一筋縄ではいかないと思っていました。
    私が当院の院長になってからも、いくつかの移転候補地がありました。そのときに事務長たちと一緒にあちこちと
    見に行ったものです。立地の面や値段などが折り合わずなかなか決まらなかったのでした。それが、ひょんなこと
    から平岡の土地が移転候補地に挙がり、色々な偶然が重なって土地の取得につながりました。
    土地の購入後も、なかなか病院移転の話は前に進みませんでした。しかし、昨年12月の札幌医療生活協同組合から
    医療法人徳洲会への事業譲渡が新築移転の夢を大きく前進させてくれました。
    今年になり、いよいよ新しい病院への具体的な動きが始まりました。先週はその中でも大事な会合が病院で行わ
    れました。詳しいことはあまり述べられないので申し訳ありませんが、また一歩新築移転への夢に近づいた一日
    がありました。

    先日、学会のついでに立ち寄った伊勢神宮の近くで見た猫の置物です。いいなあ、おなかいっぱいで。

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    最後の運動会

    みなさん、こんにちは。春になりいい天気が続いたり、雨が降ったりと周期的に気候が変わっていますね。
    さて、私は先週の土曜日は子供の運動会でした。心配していた雨が朝方にパラパラと降りましたが、予報
    通り日中は天気に恵まれて無事運動会が開催されました。札幌市内の半分以上の小学校が運動会だった
    ようで、親としては予定通り運動会が開催されて本当に良かったです(本音)。
    実は、この運動会は自分にとっては最後の運動会でした。一番上の子供の運動会に出たのが今から10年
    以上前。その時から毎年この季節は運動会の準備に忙しかった記憶があります。リレーの選手に選ばれる
    ために家の横の道路で走ってストップウォッチでタイムを計ったり、騎馬戦の相手(帽子をかぶって)を
    してみたりと。また、運動会当日はまるで写真撮影に来たかのように、リュックサックを担いでカメラや
    ビデオを撮っていました。子供が複数いた年には、あっちにいって写真を撮り、こっちに行ってビデオを
    撮ったりと本当に大変だった思い出があります。
    今回は、いよいよ最後の運動会。プログラムが進むにつれ終わりに近づきました。子供は徒競走や騎馬戦
    など思いっきり力を出していました。子供も最後の運動会と張り切っていましたが、子供のいる白組が
    負けてちょっと残念でした。でも、私にとっても最後の運動会をやり尽くした感がありました。
    妻とも「本当にこれで最後だね。」としみじみと語りました。

     

    このところいい天気の日がありますよね。五月晴れの河川敷を散歩した時の写真です。

    病院のライラックです。ほぼ満開。いい香りが漂っています。写真からは匂いが分かりませんね。

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    自転車通勤2018

    みなさん、こんにちは。いよいよ4月になりました。今年の自転車通勤も今日から始まりました。
    今年は雪解けが早かったので、自転車に乗ろうと思えば、もっと早くから乗ることができましたが
    ちょうど3月から4月の切り替わりが週末だったので、今日にしました。

    今年は冬にウォーキングで足を鍛えていたので、初自転車の今日でしたがスムーズに自転車を漕いで
    出勤できました。いつもの坂道もそんなに堪えなかったです。この年齢になっても体を鍛えることは
    いいことだと実感した冬でした。

    さて、今日はもう一つ大きなイベントがありました。そうです。病院の入社式でした。8名もの
    新入職職員がいて、また昇格人事の辞令交付もあり賑やかな朝の入社式でした。
    期待と不安をもって今日出勤してきた方も多かったとは思いますが、当院で働けて良かったと
    思えるように頑張っていきたいですね。

    それと私事ですが、自分が札幌徳洲会病院から当院に転勤してきてちょうど10年が経ちました。
    この10年で何ができたのかなと思ったりします。まだ病院移転は実現できていません。
    我が家の小さかった子供たちも私の背をどんどん追い越して大きくなっていきました。
    まだまだ頑張らないといけないですね。

    北海道日本ハムファイターズは開幕3連敗です。やっちまった!という感じです。2009年の開幕も
    3連敗でした。相手は楽天でした。2009年は結局は梨田監督で優勝です。まだたったの3試合。
    できることをやっていこう!

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    真言宗 阿字観瞑想法 体験会

    みなさん、こんにちは。さっぽろ雪まつりも終わり、冬も峠を越したかなとは思っていますが、ちまた
    ではインフルエンザが猛威を振るい、当院にも押し寄せて来ています。院長としては、外来がたくさん
    来るのは嬉しいのですが、インフルエンザに職員がかかったり、病棟の患者さんにかかったりすると大変
    なので、気持ちが落ち着きませんね。早く終息してほしいです。

    さて、今日のブログは表題のことです。
    最近、マインドフルネスとか、ヨガとかの瞑想が流行していますよね。私もそういう事は何となく聞いては
    いたのですが、特に積極的に体験すること無く過ごしていました。しかし、昨年夏休みに高野山に行った
    ことが瞑想に出会うきっかけとなりました。
    以前から、高野山には是非行ってみたいと思っていました。歴史の勉強の中でも平安時代の空海→真言宗・
    高野山金剛峯寺、最澄→天台宗・比叡山延暦寺はテストに出る必須暗記問題でしたよね。
    過去に関西地方に出張したときに、高野山のポスターを見てはいつか行ってみたいとずっと思っていたの
    でした。
    そして昨年の夏休みに思い切って高野山に行こうと思いつき、念願の高野山に行くことが決まったのですが、
    せっかくだから高野山で何かを体験してきたいと思って、金剛峯寺のホームページを色々とみていると
    体験するというページに『阿字観(あじかん)』というものがありました。阿字観ってなに?というのが
    最初の印象でしたが、そこには真言宗の瞑想法と書いてあるではありませんか。写経を体験するよりもここは
    是非この阿字観を体験したいと思い、高野山に出かけたのでした。

    そこで体験したことは、なかなか言葉では表現をしにくいのですが、不思議な1時間の阿字観体験でした。
    凝り固まった体から少し肩の力が抜けた感じがしました。それまで、ずっと体が緊張状態で体調が優れなかった
    のですが、ようやくちょっとリラックスできたような感じがしたのでした。それは高野山という聖地に行った
    ことも関係したかもしれません。それでも、この真言宗の瞑想法である阿字観というものに凄く興味が出ました。

    夏休みが終わってからも、札幌のどこかでこの阿字観を体験出来ないかなと、色々とインターネットで検索
    すると、今度は平和山明王寺という西区にあるお寺でやっているではありませんか。ここは月1回の頻度での
    阿字観実修会だったため、一度参加することが出来たのですが、その後は都合が合わなくて行けなくなって
    しまいました。

    そんなことを思いながら、月日が流れたある日、朝礼の中で夏休みに阿字観というものに出会ったことを
    みんなの前でお話させてもらいました。そのすぐ後に傾聴ボランティアで当院に来るようになった宝珠寺の
    お坊さんである米本智昭さんが、なんと阿字観を実践できることがわかったのです!これは、是非阿字観を
    やってもらいたいと思い、ようやく実現したのが昨日(2月14日)でした。
    実際には2週間ほど前に急遽決めたので、参加者は少ないだろうと思っていたのですが、当院のボランティア
    グループの「せら」の方達にも声を掛けたところ、予想以上にたくさんの方が参加してくれました。
    (職員含めて約30名ぐらいでした。)

    夕方17時30分から約1時間。阿字観の中でも呼吸法が中心の阿息観でしたが、とっても良かったです。これが
    私がやりたかったことでした。やはり私にはしっくりくる瞑想法でした。
    参加できなかった職員もまだいますし、また私もやりたいので、次回また企画する予定です。

    以上、阿字観体験会の報告でした。

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    新年明けましておめでとうございます

    みなさん、新年あけましておめでとうございます。今年もお正月はゆっくりとさせてもらいました。
    お正月の間札幌地方は比較的気温も暖かく、元旦には少し雨も降りましたが、大雪もなく除雪にも追われることなく3が日が過ぎました。

    平成30年になりました。ちょっと前に昭和から平成になったと思っていたのですが。もう30年にも経った
    のですね。来年には天皇陛下の退位が決まっているので、平成がもうすぐ終わると言うことですよね。

    今日から初仕事。また1年が始まります。病院の朝礼で挨拶をしたのですが、今年の目標は①新病院建設をさらに進めていくこと(そのためには病院経営をもっとしっかりとやる)②自分の体調管理 としました。
    年末にどれくらい実現しているか、このブログで報告したいと思います。

    本年もボチボチとブログを書きますので、お楽しみに(?)

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    今年も冬至の季節が来ました

    このところ寒い日は続いていますが、雪が少なくてほっとしています。毎朝の雪かきが無くて
    体は楽ですね。
    今年も12月22日の冬至がやってきました。1年で一番日中が短い日です。夕方日が暮れるのが
    とっても早く16時にはもう暗くて部屋の明かりをつけないと本も読めません。北海道に来て
    驚いた事の一つが冬の夕暮れの早さですね。大学生から北海道に来ることになったのですが、
    冬に学校が終わって外に出たら、もう真っ暗でした。(私は道産子ではなく、本州の人です)

    今日は快晴の予報でしたが、朝から曇り空。路面は濡れているので外はプラスの気温なので
    しょう。

    今年も1年間色々とありました。毎年忘年会の挨拶でこの1年を振り返るのですが、何と言っても
    トップニュースは病院名の変更ですよね。1年前の今頃はにはまったく想像もしていませんでした。
    札幌南青洲病院になって20年を超え、次の10年は新病院で大きくステップを踏み出そうと考えて
    いましたが、徳洲会グループの方針もあり、札幌医療生活協同組合から医療法人徳洲会へと事業
    譲渡して、病院名が変わりました。もう南青洲は過去の名前なんですね。

    冬至の夕暮れです。夕日は見えませんでした。

    夜はゆっくりとゆず湯に入って寝ます。(使ったゆずです。)

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    札幌南徳洲会病院 are GO!

    12月になりました。何も変わらず、いつものように日付が変わり朝日が東から昇ってきました。札幌はもう
    すっかり根雪になりましたね。

    12月1日は、札幌南徳洲会病院の最初の日となりました。朝礼にはたくさんの人が集まり、所属長にはそれぞれ
    辞令が交付されました。仕事の内容は何も変わりませんが、医療法人徳洲会に入った証となりました。
    朝礼の最後に理念の唱和をしましたが、かんでしましました。(-_-) 札幌南徳洲会病院(さっぽろみなみ
    とくしゅうかいびょういん)とは言えましたが、その後の内容を失敗しました。あー、恥ずかしい。

    病院の看板や標示物が札幌南徳洲会病院になっていました。あれっと?思うぐらいあっという間に変わって
    いました。
    関係職員の頑張りです。胸につける名札も変わりました。何か新鮮な気持ちになりました。

    (看板は2010年12月の私のブログを見ると古いのが見れます)

    11月30日のブログと何が違うのかという気もしますが、新しい気持ちでこの病院と関わっていきたいと
    思いました。
    再来年4月30日をもって平成が終わることが決まったようです。我々の病院も新しい時代に向けて、前へ進んで
    いきたいと思います。

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    札幌南青洲病院とのお別れ

    運命の日がやってきました。まさかこんな日が来るなんてこれっぽっちも思っていませんでした。
    明日から何かが変わるという訳ではありませんが、一つのステップが終わるんですね。

    平成8年から徳洲会グループ入りし、5月1日に『札幌医療生活協同組合 札幌南青洲病院』と病院名を変更し
    ました。そのころ、前野宏先生も私も徳洲会にはいませんでした。ですから、札幌南青洲病院の発足時の
    苦労話などは人に聞いたぐらいで、現在も当院に在籍している人はかなり少ないのです。
    徳洲会グループ入りしても、経営的には苦戦が続き、札幌徳洲会病院からの応援が来たりしていたようです。
    院長も毎年替わるような時期がしばらく続きました。

    平成13年4月に前野宏先生が外部から招かれ院長に就任。以前、札幌徳洲会病院に勤めていたことはありました
    が、長らく徳洲会からは離れていました。彼が持った夢は、札幌南青洲病院にホスピスを作ること。彼の夢に
    賛同する人たちが集まり、病院は少しずつ変わっていき、また徳洲会グループの前理事長である徳田虎雄
    先生からもホスピス開設への後押しがあり、平成15年11月に徳洲会グループ初の緩和ケア病棟(ホスピス)
    を開設することが出来ました。
    その後は、徳洲会グループからの経営的なアドバイスや職員達の頑張りもあり、徐々に経営は改善。黒字化
    することが出来るようになり、少しずつ貯金も出来るようになりました。
    私は平成20年4月に札幌徳洲会病院から異動する形で赴任してきました。その後、平成22年6月からは院長を
    拝命し現在に至っております。
    院長としてこの7年間の歩みは色々とありました。すべてを書いているわけではありませんが、院長ブログにも
    その時々の気持ちなどが書いてありますね。
    働いてくれたスタッフ、医師、看護師、ソーシャルワーカー等々、思い出せばきりがありませんね。

    院長室から見える景色は変わりませんが、ゆっくりと時代は前に進んでいるのだなあと感じます。

    今朝は札幌南青洲病院として、最後の朝礼でした。感慨深いものがありました。
    さあ、明日から札幌南徳洲会病院。

    これからもよろしくお願いいたします。

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    病院名変更のお知らせ

    みなさん、こんにちは。今日は、みなさんにお知らせしなければいけないことがあります。
    それは、12月1日より病院名が変更になります。

    平成8年より当院は徳洲会グループ入りし、『札幌医療生活協同組合 札幌南青洲病院』として出発しました。
    それから足かけ20年以上地域のみなさんにホスピスのこころを大切にする病院という理念を掲げ医療を
    提供してきました。当初は経営的には苦戦した時期もありましたが、徐々に地域の方々に支えられ病院が
    発展していきました。14年前には札幌では4番目の緩和ケア病棟(ホスピス)を開設し、これまで
    2000名以上の方が入院されたことは、我々も誇りに思っていることであります。

    当院はすでに築30年以上経過し、建物老朽化はかなり進んでおります。私が7年前に院長になってからは
    病院の新築移転は一つの夢、目標として掲げておりました。そういう経過の中、数年前には平岡に新しい
    土地を購入し、新築移転の夢を実現すべく少しづつ前に進んでおりました。

    この春からは、新築移転などの大きな事業はやはり徳洲会グループとしてバックアップしてもらうことが
    大事であるという判断に至りました。それに伴い、札幌医療生活協同組合を解散し、いままの事業をそのまま
    医療法人徳洲会に譲渡することを決めました。事業譲渡に伴い、新しい病院名に変更する必要があり、今回
    『札幌南徳洲会病院(さっぽろみなみとくしゅうかいびょういん)』という名前に決まりました。

    札幌南青洲病院は11月30日をもって終了。12月1日からは新病院名となりますが、病院の姿もスタッフ
    も何も変わらないことをお伝えします。名称が変わるだけで、診療の中身はこれまでとまったく変わりません。
    安心して下さい。(”とにかく明るい安村”ではありませんが。)経営的にも安定した状態で名前が変わるのみです。

    それに伴い、病院の表示があちこちで変わる予定です。病院の看板、車のサイン、病院のホームページ、
    Facebookなどなど。しばらく混乱するかもしれませんが、ご了承いただければ幸いです。

    新しい病院名になってからも、これまでと変わらぬみなさんのご支援をお願いします。

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