北海道地震に伴う停電での出来事

みなさん、ご無沙汰しております。今回は、北海道胆振東部地震および全道の停電で色々な方から
心配していただきありがとうございました。

今回はちょうど札幌市清田区里塚で地震で起きた液状化現象の起こった付近のすぐ近くに
当院があり、またその液状化現象で流れ出た泥が病院前の道路を完全に塞いでしまい、
そのため報道などにも何度も出たようで、全道停電のためテレビやネットの映像を見ていない
のは当院の職員ぐらいという状態が続きました。

以下、私の経過です。(記憶のみで書いているので、経過は前後しているかもしれません。また
冗長な長文になってしまいました。)

私は3時8分の地震発生でたたき起こされ、家族の無事と家の無事を確認。すでに停電状態のため
懐中電灯で家の中を動く状態でした。余震は心配しましたが、病院へ行く準備をして家を出発
しました。車で行くより、自転車の方が安全と判断し、病院へ向かいました。
病院に向かう途中はすべての信号、電灯が消えている状態で、夜空の星がとてもきれいで、
オリオン座がとてもはっきりと見えました。

病院近くに来たとき、いつも坂道を下って病院に着くのですが、その坂道の手前で迂回路を示す
看板が立っていました。(この時点でまだ交通整理する人はいませんでした。)
何でこんな看板があるんだろう?と思いながら、看板を避けて、いつもの坂道を下っていくと
その先になんとなく水がついているような感じが見えました。そのまますっと下っていくと
自転車が泥水にはまりかけ、危ない危ないと思い、左側の歩道の方に乗り上げたのですが、
そこもまだ泥水で自転車から降りました。少し、自転車を押しながら進むと、道路全体が泥水
で覆われいる状態でした。病院と反対側に降り立っていたので、この泥水の道路を渡って反対側
に行かないと病院に行けないと思い、渡ろうとしたら、足が泥に取られてしまいました。ちょうど
近くにいた人から、さっき向こう側に渡ろうとしてはまっていましたよと聞かされ、無理して
この道路を渡らない方がいいと判断。今来た坂道を引き返し、違う道から病院に行こうと
思いました。そして、坂道を少し上がって、左に折れて行こうとしたら、今度は崖のようになり
水が吹いているところに来てしましました。(実はそこが今回、報道されている液状化現象で
陥没してしまったところでした) まだ日が上る前だったため、よく前方が見えなくて、ここを
無理して渡るより、さらに遠回りして病院に行った方がいいと思ったところ、ちょうど看護部長
から病院前の道路は泥水で通れず、国道から回った方がいいと電話が入りました。
それで、ぐるっと遠回りして病院に到着したのが、4時10分頃でした。

病院に到着するとすでに、かなりの職員が出てきてくれていました。看護部長、事務長もすでに
到着しており、1階のロビーが緊急会議をする場所になりました。
ホワイトボードに今起こっていること、これからの必要なことなどを次々に書き入れ、情報共有
が始まりました。
病院の被害状況の確認、停電に伴う自家発電が始まっており、その燃料確保の問題、断水には
なっていましたが、当院には受水槽があったお陰で病院内の水道に関しては当初は大丈夫である
こと、液体酸素もまだ十分にあることなどなど、ボードに書き出しながら順次進めていきました。

9時過ぎには幹部を中心に対策チーム(?)を編成。各担当部分を決め、その都度大事な判断を
相談しながら決定していきました。診療に関しては、大幅に制限。入院依頼などの判断は院長の
私が担当、透析に関しては副院長に取り仕切ってもらい、病棟のことは看護部長が。燃料確保や
車や部品なの手配、外とのやりとりなどは事務長が担当。小さい病院だったからこそ、いつもの
コミュニケーションが威力を発揮しました。

2時間ないし3時間ごとに1階のロビーに集合し、情報共有をしながら電源の復旧を待っていました。
停電後からの一番の懸念は自家発電のことでした。燃料の軽油の備蓄は限られており、その確保が
常に問題になりました。(それが、結果的に看護師たちが自発的に『燃料』と書いた紙を病院の上
からテレビカメラに向かって出したことに繋がったのかもしれません。)

燃料は当初は近くのガソリンスタンドで確保できたのですが、それもすぐに追加はできなくなり、
午後には遠くまで確保に行きました。そのうち、保健所から燃料の配送希望の問い合わせがあり、
一度燃料車が来てくれました。

また、停電のため、電子カルテはまったく使えない状態でした。サーバーもダウンしており、
通常の診療は出来ない状況であり、また現在入院患者さんのデータも簡単にはわからない状態で
した。唯一、無線ネットワークから昨日までのデータを見ることが出来るノートパソコンが1台
あるのみでした。当初はそのパソコンで患者データも見ることができたのですが、徐々に無線回線
が不安定になってしまい、結局は停電初日はほとんど使えない状態になってしました。

時間経過は前後していますが、そういう中で連携している在宅の診療所からALS(筋萎縮性側索
硬化症)の患者さんの入院依頼がありました。以前、当院に入院しており昨年自宅へ退院して
いった患者さんでした。私の中では、自家発電の燃料の心配はありましたが、自宅で困っている
人を助けないと行けないと思い、みんなにALSの患者さんの入院依頼を告げ、すぐに動いてもらい
ました。当院まで来るのにも大変だし、当院の救急車に職員を乗せて迎えに行ってもらいました。
10時過ぎには無事病棟に入院。もちろん電子カルテは使えませんから、古い紙カルテを運用して
代用しました。

停電のため、光が入らない当院の1階のロビーは真っ暗で、外が明るいのにロビーの暗さに
びっくりする人も多かったと思います。その後も、在宅酸素を使っている当院の通院患者さん
から酸素を使わせてほしいと連絡があり、次々と外来へ。一般外来は制限していましたが、
こんな風に困っている人は受け入れるしかありません。酸素バルブがあるベッドで酸素投与を
続けてもらいました。

その後も何人かの在宅の先生から入院依頼があったのですが、すでの病室が満床状態でもあり
また自家発電の継続心配もあり、心を鬼にして断らせてもらいました。(困っている人を助ける
のが徳洲会グループの精神なのですが)
結果的にはそれが後で良かったことになりました。

副院長が以前、札幌医師会の災害救急の講習会に出ていたことがあり、EMIS(広域災害救急
医療情報システム『イーミス』)というものに登録していました。この災害時にスマホ経由
で当院の状況を報告したと聞いていました。
そうしたところ、保健所からの問い合わせがあり、そのときには燃料の件を報告できたし、
また厚労省からも病院の状況の問い合わせもありました。一番助かったのはDMATチーム
から人工呼吸器の患者さんの問い合わせでした。その時点で当院には緊急入院したALSの
患者さんを含め計4名の人工呼吸器が必要な患者さんがいました。自家発電の燃料が十分持つ
保証が無かったため、その時点でDMATチームに人工呼吸器患者さん4名を別病院へ搬送して
もらうことを決断。夕方17時以降に順次搬送してもらいました。2名は近くに降り立った
ドクターヘリに乗って、北海道大学病院へ。残りの2名は別々の救急車で北海道大学病院へ
搬送していただきました。

また停電直後からの懸案は透析患者さんでした。副院長も電源復旧を見越しながら、決断の
時間を見極めながら情報収集しました。もし停電翌日に復旧することが確実なら透析自体を
1日伸ばすだけなら大丈夫ですが、それ以上になるとまずいことになることは分かっていま
した。停電発生当日には早い段階で当院での透析は中止と判断しましたが、関連病院である
札幌徳洲会病院が復旧しており、9月6日に限ってなら透析患者さんを全員受け入れ可能と
言われ、全員搬送して透析することになりました。通院透析の患者さんは迎えに行って
札幌徳洲会病院へ搬送。透析を終えたら自宅へ送り届けました。当院入院中の患者さんは
順次当院の車を使って搬送。透析を終えて、当院に連れて帰ってきました。最後の透析患者
さんが戻ってきたのは21時30分頃でした。今、振り返れば停電当日に透析出来る患者さんを
全員札幌徳洲会病院で透析しておいたのが、翌日の余裕に繋がりました。

人工呼吸器の患者さんや透析患者さんのことが一通り落ち着き、朝からずっと働いていた
職員を順次帰していき、なんとなく1日目の夜を安堵しながら迎えようとしたときに、ふいに
ある女性がロビーに入ってきました。なんとなく頼み事がありそうで、話を伺うと当院に
通院中の患者さんが在宅酸素のボンベを大事に吸っていたが、残りが少なくなって不安そう
にしていたので連れてきたとのこと。名前を伺うと私の患者さん! 病棟の空きベッドを
確認しすぐに入院してもらいました。ご本人も入院出来てほっとしていました。

夜になっても電源復旧の見通しは立ちませんでした。札幌市内でも一部電気が開通したと
いう情報が入ってきて、病院のすぐ隣の家の電気が点灯し、ガソリンスタンドの電気が
ついたのと、その周辺の街灯がついたときはもうすぐこちらまで来ると期待しましたが、
まったく復旧の気配はありませんでした。

自家発電のエンジン音が響きながら、各自横になる椅子やソファを見つけ、各々が仮眠を
取りました。私も医局のソファで仮眠を取りました。
そうして、1日目の夜が更けていきました。

(長くなったので、つづく・・・)


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