今年もあと1ヶ月

| その他 |

みなさん、こんにちは。札幌は100何十年降りの遅い初雪ではありましたが、やはり冬は確実に
やってきますね。もう自転車での通勤は今週で終了となりました。また来年までお休みです。

週末は東京へ出張です。出張に合わせていくつかの病院見学に行ってくる予定です。時間があれば報告します。
いよいよ来週から12月ですね。先生たちも走る師走です。

立冬

| その他 |

みなさんこんにちは。11月に入りました。先週、手稲山には初雪が降りましたが、まだ札幌市内には雪が降りません。私の家の車のタイヤはまだ普通タイヤのままです。今日は立冬ですが、まだ本格的な冬は少し先になりそう
ですね。
冬に向けて天気の良い日と悪い日が交互にやってきていますね。

先日の文化の日に円山登山に挑戦(?)してきました。朝7時に家を出発。地下鉄を乗り継いで円山公園駅
まで。そこからは円山公園を抜けて円山登山の八十八か所コースから登っていきました。標高225メートルと
大した山ではありませんが、それなりに息が上がりました。途中、リスとも出会ってこちらに寄ってきました。
(人に慣れている?)私の脚で約30分で頂上へ。頂上でゆっくり休憩し、下山は動物園コースから降りてきま
した。
紅葉も観賞しながら秋晴れの爽やかな登山でした。

で、ちょっと歩きすぎたのか、一昨日あたりから右膝に変調が。なんとなく腫れているのです。痛みというほど
ではないのですが自転車を漕ぐと右膝に違和感が出ています。これからスキーシーズンなのに万全な体調に
しないといけないのに。と言うことで、ちょっと膝を休めています。

今日は病院からとっても綺麗な夕焼けが見えました。明日はいい天気になりそうですね。

みなさん、こんにちは。紅葉もすぎ雪の便りが聞かれるようになりました。いよいよ11月になりますね。
今回は先日開催された第2回徳洲会緩和ケアセミナーの報告です。

札幌の秋晴れの下、10月20日北海道建設会館で当セミナーが開催されました。昨年11月に引き続き2回目で
今回も当院が事務局となって開催しました。昨年は札幌徳洲会病院を開催場所に借りて、セミナーを実施。
講演を聴いたりする時には病院の8階の講義室は良かったのですが、ワークショップなどをやるには部屋への
移動があったりするため、今回は別の場所を借りることにしました。

今回は、少し参加者が多くなることを期待して札幌駅前の北海道建設会館のホールを借りました。昨年は
11月3日の文化の日に開催したのですが、やはり北海道は寒いという声も聞こえ、今年は10月中に開催する
ことにして、10月20日土曜日としました。

さて、プログラムの関しては、今回は私が中心になって進めることになりました。と言っても私一人の力で
出来るわけでもなく、みんなの力が必要で、工藤看護部長、下澤事務長といつも会議をしているので、
3人で構想を練っていきました。

昨年の緩和ケアセミナー(2017年11月のブログを参照)では、初めての開催でもあり、当院からの発信と
各施設からの発表および顔合わせという感じでした。全国から同志が集まり、とてもいい会が開催されたと
思っていて、今回はそれ以上のものをやりたいと考えていました。
まず、考えたのはどういうテーマを中心にやったらいいのかということ。事務長からは学会のようなメイン
テーマを求められました。言葉ではうまく表現は出来なかったのですが、多職種の集まりでチームの機能を
深められるような会が開催できればいいなと構想を練りました。
そこで、思いついたのが当院に傾聴ボランティアで来ている米本さんのことでした。まだ全国的にも珍しい
臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし)の資格を持っており、その視点でお話を伺うのがいいと思いました。
すぐに緩和ケアセミナーの特別講師の依頼を行い了承をもらいました。
その後、やはり昨年と同じく各施設からの報告も必要だと考え、セミナーの申し込み状況を見ながら、私が
独断で各施設の担当者に電話をかけ、施設発表をお願いしました。逆に是非発表したいと言ってくれた病院
もあり、助かりました。
昨年は最後に各分科会と称し、医師の集まり、看護師の集まり、コメディカルの集まりと3つグループ分けを
してディスカッションを行いましたが、今回は多職種でのディスカッションを目指し、職種に関係なく全員が
混ざり合うこと目指しました。中身に関しては実行委員会の他のメンバーにお願いして内容を吟味してもらい
ました。

そのようにして徐々にセミナーの内容が固まっていく中で、特別講演が米本さん一人ではやはり負担ではない
かという意見もあり、どうしたものかと考えていました。時期も開催まで2ヶ月ぐらいになっており、頼める
人もなかなかいないと思っていました。そのとき、工藤看護部長から急性期の病院で頑張っている人の話が
面白いんじゃないかとアドバイスがあり、そうだ!帯広第一病院の今井先生がいいねという話になりました。
当院で3年前まで一緒に働いていた今井先生は訳あって、帯広第一病院へ転勤。当初は総合診療をやるつもり
で帯広第一病院に就職したのに、緩和ケアのできるいい先生が来たと言うことで十勝地域初の緩和ケア病棟を
立ち上げる中心人物になったのでした。その過程で苦労したことが一杯あったと思うから、その苦労話を
セミナーで話してもらうと、徳洲会グループの急性期病院で緩和ケアを頑張っている人に勇気を与えることが
出来るんじゃないかという狙いでした。
すぐに電話で今井先生に講演の依頼をして了承をもらい、ほぼセミナーの全体スケジュールが決まったのでした。

セミナー当日は秋晴れの中、ぞくぞくと会場にみんなが集まってくれました。遠く沖縄からも中部徳洲会病院や
南部徳洲会病院からも大勢で参加していただき、本当にうれしく思いました。

セミナーは前野宏先生から開会の挨拶の後、『札幌南徳洲会病院 ホスピス15年のあゆみ』と題した私の基調
講演から始まりました。その後、午前中は2つの特別講演を行ってもらいました。
最初は、当院ホスピスに傾聴ボランティアで来ていただいている米本知昭(ちしょう)さんから『臨床宗教師
の働き ホスピス病棟におけるスピリチュアルケア』という題でお話をしてもらいました。何故、お坊さんで
ある米本さんにお願いしたかというと、彼はまだ全国的にも珍しい臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし)
という資格を持ち、今お坊さんでありながら医療の現場で活躍している方なのです。上湧別のお寺でお勤めも
しながら、札幌にも出てきており、色々なつながりから昨年より当院で傾聴ボランティアと働いている方です。
今回のセミナーを企画したときに、是非臨床宗教師というものを全国のグループのみなさんにも知ってもらい
たいと思い、早くから本人に講演をお願いしていました。
内容は、2011年3月の東北大震災を契機に宗教という垣根を越えた鎮魂が必要となり、亡くなった岡部医院の
岡部健先生の後押しもあり東北大学で養成が始まったとのことで、10年経たずに認定臨床宗教師という資格も
出来、米本さんはその一人なのでした。

もう一つの特別講演は帯広第一病院の今井貴史先生から『十勝地域初の緩和ケア病棟立ち上げまでのプロセス』
という講演でした。
今井先生は当院で3年前まで緩和ケア・在宅ホスピスを中心に働いてくれていたのですが、帯広第一病院では
総合診療をやる予定だったそうです。それが、札幌から緩和ケアの専門家が来たということになり、また
ちょうど緩和ケア病棟を作ろうという話が持ち上がっていたところでの赴任だったようで、結局は彼が中心に
なって帯広第一病院で十勝地域初の緩和ケア病棟を立ち上げることになったのでした。その約3年間の苦労話
は、絶対に急性期病院で緩和ケアをやろうとしている人々に希望を与える内容になるのではということで、
今井先生には忙しい中、札幌に出てきてもらい講演をしてもらいました。
内容はいわゆる急性期の病院に緩和ケア病棟を作る上での苦労話。まず文化の違いから変えないといけないと
いうことでした。何度も心が折れそうになり、辞めたいという気持ちになりながらも踏ん張りながら、今年の
2月に十勝地域初の緩和ケア病棟を作ることが出来ました。その頑張りに拍手を送りたい内容でした。

昼食を挟み、午後からは各施設の発表としました。昨年も行いましたが、今回は時間の関係もあり、6施設に
限らしてもらいました。南は沖縄の中部徳洲会病院から始まり、医師や看護師からそれぞれの病院の取り組み
が聞けて、時間が足りないくらいでした。

そして最後のセッションは多職種によるワークショップでした。
昨年のこの緩和ケアセミナーでは、各職種(医師のグループ、看護師のグループ、その他コメディカルの
グループ)に分かれてそれぞれの職種でテーマに沿って話し合いをしてもらいました。この時は各病院での悩み
事などを話す場となり交流を深める上で目的は達したのでしたが、今回は職種の垣根を越えたディスカッション
をやってもらい、それぞれの役割をもったチーム医療の実践をやってもらいたいと考えて、ワークショップの
企画をしました。
がんの終末期にある患者さん(仮想症例)を提示。8人ずつに分けたグループでテーマに沿って話し合ってもらい
その患者さんと家族の意思決定支援を考えてもらうという企画でした。私としては、当院のカンファレンスでは
いつもやっていることですが、このようなセミナーに参加したみんながうまくディスカッションしてくれるか
心配でした。しかし、実際ワークショップを始まると、私の懸念も必要なくどこのグループも積極的に発言し、
職種を超えて自分の意見を言っているのが印象的でした。急性期医療を提供している徳洲会グループの病院で
緩和ケアを広めるにはなかなか難しいと今まで思っていましたが、今回のワークショップを経験して、緩和ケア
のマインドをもった人たちがこんなにも集うとこんなにもうまくいくのだと実感しました。
ある参加者の人が発言していましたが、「ここにいる人たちがもし自分の病院にいたら、どれだけ心強いか、
仕事がしやすいかと思った。」と。
これからも徳洲会グループ内で緩和ケアが広まっていくと確信しました。

セミナーの後は、移動して昨年と同じアサヒビール園でジンギスカンを食べ、緩和ケアの仲間との交流を深め
解散となりました。

以上、第2回徳洲会緩和ケアセミナーの報告でした。

窓ふき

| 病院関連  |

朝はすごい雨でしたが、午後から晴れてきて雲も切れ始め秋の空になってきました。
ふと昼休みに院長室から外を眺めていると、窓の汚れが・・・。以前からちょっと汚いと
思っていましたが、気になると掃除がしたくなってしまいました。

備え付け(?)のぞうきんを取り出し、内側の窓を外してせっせと窓拭き。ぞうきんには
すごい汚れが付きました。綺麗になった窓。

元の位置に戻して窓拭き終了。外側の窓は危なくて拭けませんでしたが、きれいになって
気持ちがすっきり。

そんな日でした。(院長が何をやっているのか!と言うツッコミはご勘弁を :-o)

ブログ連チャンです。クライマックスシリーズ第1ステージ負けました。もう第2ステージが
始まっており、連日熱戦が続いていますが、応援するチームがいません。残念です。でも、
昨年の5位からAクラス入りの3位で一時は優勝も夢を見たので、良かったシーズンとしましょう。
栗山監督の続投はまだ決まっていませんが、また新しいチームを作ってくれるでしょう。
吉井投手コーチの退団は残念ですが、新しいコーチ、選手で次のファイターズを作り上げて
もらいたいです。

今年のファイターズブログもこれで終了ですね。また来年をお楽しみに。
そうだ、大谷君もメジャーリーグのシーズン終わっていますね。大谷君の活躍も楽しみですね。

(昨年の大谷君の160km/hです)

みなさん、こんにちは。院長ブログ連チャンです。いよいよ我ら北海道日本ハムファイターズのクライマックス
シリーズが始まりました。シーズンは3位で終わったため、ソフトバンクのヤフードームでの開催。遠くて応援
にはいけませんが、テレビを見ているとたくさんの方が応援していますね。ファイターズの攻撃の時のいつもの
応援歌で一緒になって応援したくなります。

さて、試合の方は第1戦は、完全にソフトバンクペースでしたね。1回表に近藤選手のホームランで先制しました
が、1回裏にあっという間に満塁で4番柳田選手にタイムリーヒット。その後、デスパイネ選手に満塁ホームラン
を打たれ上沢投手は1アウトも取れずに5失点。流れが完全に傾いてしまいました。何とか取り返そうと栗山監督
も頑張りましたが初回に4点差がついてしまうと、今の打線ではなかなか逆転は難しいと思いました。第1戦は
結局8対3で負けました。完全に力負けですね。日本ハムファイターズはもう後が無くなりました。

そして第2戦。先発は今年1年活躍したもう一人のピッチャーのマルティネス(通称・マルちゃん)。こちらは
粘り強く投げ続け、その間に1点ずつ取りながら流れは日本ハムファイターズとソフトバンクのガチンコ勝負の
感がありました。7回裏に同点にされた時には、流れがソフトバンクに傾くかなと思いましたが、8回表に
ファイターズがツーアウトから西川、大田、近藤と意地の2塁打の3連打。2点をもぎ取り、宮西投手、石川投手
とファイターズの勝ちパターンの投手リレーで4対2で勝ち切りました。9回の石川投手の投げっぷりには今年1年
成長した姿を感じました。
もう未来のクローザーは間違いありませんね。

さあ、今日の夜の第3戦で泣いても笑っても勝負が決まります。栗山監督の北海道に帰ってくる宣言は実現できる
か。北海道日本ハムファイターズの必死なプレーに今日も応援したいと思います。

スポーツの秋

| その他, ファイターズ関連 |

みなさん、こんにちは。とうとうプロ野球のレギュラーシーズンも終わってしまいました。
今日からクライマックスシリーズで我ら北海道日本ハムファイターズは福岡でソフトバンクホークスと
第1ステージを戦います。いつもソフトバンクとは接戦になりますから、チャンスはあると思います。
今年は対ソフトバンクは13勝12敗と勝ち越したのですが、8月中旬からの対戦成績が7連敗していること
が気がかり。でも、知将・栗山監督のことですから色々と手を打ってくると思います。遠く札幌の地から
応援したいと思います。

さて、台風の影響もあり、10月7日は札幌マラソンが急遽中止になりました。当院の職員も何人か参加の
予定だったのに中止になり残念でした。結果的にはそんなに強い風は札幌に吹かなかったので、マラソン
も出来たかなと思いましたが、やはり大会を行うことは危険と判断したのでそれで良かったと思います。

翌日の8日は台風一過の晴天を見越し、家族で藻岩山登山を計画しました。子供たちが小さいときは何度か
藻岩山に登ったことがあったのですが、しばらくご無沙汰していました。最近、少しウォーキングを
しているので、その延長として藻岩山に登りたいなあと今年は春からずっと思っていました。
7日の夜の夕食時に明日はみんなで藻岩山に登ろう!と宣言。一部の子供からは反対の声が上がりました
が強行突破。8日の朝5時過ぎには起きて準備開始。早めの朝食を摂り、いざ出発。
藻岩山はいくつかの登山口があるのですが、一番慣れている慈恵会病院前から登山開始。途中、2度の
休憩を入れながら頂上までは約1時間20分かかりました。ちょっとかかりすぎか。携帯の歩数計を
見ると約5000歩。歩きましたね。頂上からは綺麗に札幌の街並みが見渡せました。天気が良くて石狩湾
も綺麗に見えました。逆方向の山並みもとても綺麗で登って良かったと思いました。

頂上では、約1時間ほど滞在。朝早かったため、最初は登山者ぐらいしかいませんでしたが、ケーブルカー
が動き始めてからは、徐々に屋上の展望台に上がってくる人が多くなってきました。

11時前には下山を開始。今回は、また来た登山道を降りました。藻岩山にはいくつかの登山道が
ありますが、もとの慈恵会病院前の登山口を目指しました。予定は50分ぐらいで下山するつもりでしたが、
足下がやや滑るのでゆっくり、ゆっくり降りたためか1時間かかってしまいました。歩数も7000歩近く。
登りより小股で歩いたせいかもしれません。

久しぶりの藻岩山登山。達成感がありました。翌日の筋肉痛を気にしながら家路について、午後は昼寝を
してしまい、爆睡。やはり疲れていましたね。

スポーツの秋で登山を楽しんだことの報告でした。

さて、9月には台風、地震と大きな災害が続き、そのためか時間がありそうでないような日々を過ごし、あっ
という間に10月になった感じがします。このブログも書こう、書こうと思って下書きしていたのですが、
気づけば10月です。やはり看護部長のように毎週は難しいか。

今日は、ファイターズのことです。昨年5位に終わり、大谷君がメジャーリーグに行ってしまい、増井や大野が
FAで退団したりと戦力ダウンは予想されましたが、いつもの栗山マジックにより積極的な若手起用もあり、
シーズン前半はいい位置にいました。絶対的優勝候補のソフトバンクホークスの相次ぐけが人、先発陣の不調も
あり、ファイターズにとってはラッキーな面もあり、オールスター直後に西武ライオンズにゲーム差0.5まで
肉薄したときには、この調子で最後は優勝だ!などと夢を見ました。
うまく行かなかったのは、結果的に8月の戦い方でしたね。8月の前半は勝ったり、負けたりをして貯金が増えず
1位の西武ライオンズとじわじわと離されていきました。そして、決定的だったのが8月後半の西武ライオンズと
ソフトバンクホークスと続く6連戦でした。西武ライオンズとの初戦はいい流れで逆転勝ち、しかし翌日の第2戦
は、逆に8回裏に勝ちパターンのトンキンが打たれ逆転負け。第3戦も7回裏に満塁ホームランを打たれ逆転負け。
ここの悪い流れでそのままソフトバンクホークスに3連敗していました。(東京ドームというホームゲームだった
のにです)
ちょうどこの5連敗したときに、ソフトバンクホークスの方が戦力が整い、一気に9連勝してファイターズを追い
抜き2位になりました。
ファイターズの方は、もう盛り返す力は無かったですね。9月の戦い方を見ても分かります。北海道胆振東部地震
の影響もあり、試合が中止になったり、北海道のため勝たなくては、と力が入ってしまい負け試合が多かったと
思います。
本当は今週で札幌ドームで最終戦の予定でしたが、地震で中止になった分来週も試合が残っています。今年最後の
西武ライオンズとの4連戦も1勝3敗で、優勝したチームと負けたチームの勢いの差を感じました。残念ですが、
クライマックスシリーズはこのままでは勝てないでしょう。ソフトバンクホークスとは、いつも接戦ですから
もしかしたらファーストステージは突破するかもしれませんが、西武ライオンズにはコテンパンにやられそうです。
悲しい。 😥

でも、もう少し野球が見られるので、精一杯応援しましょう。それでも野球シーズン楽しんだ1年でした。

(長くなり、続きです)
2日目(9月7日)の朝3時頃、医局のソファの上でふと目が覚めました。ちょうど地震発生から
24時間が経過していますが、まだ外は暗く電気の復旧はしていませんでした。この時期の札幌の
日の出は5時過ぎ。4時頃になれば外は明るくなってきます。ですからまだまっ暗な状態。病院内
をぐるっと回りましたが、大きな異常は無くてほっとしました。自家発電による電気のお陰で、
病棟のナースステーションの蛍光灯はとても明るいですが、病室や廊下・階段はまっ暗な状態。
手持ちのライトで床を照らしながらの移動しました。
1階のロビーに降りると、事務長やその他の職員が長椅子の上で寝ていました。起こさないように
そっと側を通りました。

もう一度仮眠を取り、起きたのが5時過ぎ。外は明るくなっていました。病院の方は特に変化が
無かったので、一度液状化現象が起きたところを見に行っておこうと思い、外に出かけました。

病院の裏側から歩いて行くと3分ほどでその現場に着きました。以前、訪問に行っていた患者さん
の家の隣の家のところから液状化が起こって、アスファルトが波打っていました。ちょっと先には
テレビでも写っていた紺の車が泥の中にはまっていました。来た道を引き返し、別の方へ歩いて
行くと夜の間ずっと復旧工事をしている人たちがいました。
これ以上は病院を離れてはいけないと思い、再び病院に戻りました。

地震発生から翌朝を迎えていました。自分の自宅は大丈夫と妻から連絡はもらっていましたが、
一度見に行った方がいいと考え、事務長に伝え自宅へ戻りました。自転車で自宅へ往復。一部の
信号は点灯していましたが、ほとんどはついていませでした。大きな交差点では警察官が交通整理
をしてくれたお陰で安心して渡ることができました。
自宅では、家族が無事一夜を過ごし、保管してた水や残った食べ物を食べていて、特に困っている
様子はなかったようです。子供たちは学校が休みになったため、手持ち無沙汰なようでした。
自宅で朝ご飯を食べ、少しだけ鋭気を養い再び病院へ。

朝8時前から再び1階のロビーに職員が集合し、今日からのスケジュールが始まりました。
朝6時の時点で電源の復旧の目途はなし。まだ断水も継続していました。車の燃料は近くのガソ
リンスタンドのご厚意により当院の車に優先的に配給してもらいました。
自家発電の方は、いくつかの方面から確保ができ、まず夕方までは軽油が確保できました。
それよりも電源の復旧に関しては、各方面からのサポートで2日目の昼過ぎに電源車が確保でき
そうな連絡がありとてもうれしい知らせとなりました。もし電源車が到着すれば、ほぼ電気の
心配が無くなり、通常の通り電子カルテなどが使える状態になるとのことでした。
また、札幌市水道局も断水が続くと受水槽の水が足りなくなることを伝えたところ、給水車を派遣
してくれました。

実は、1日目の夜からすぐ近くにあるガソリンスタンドとコンビニの電気がついており、病院の
後ろの家の電気もついていたので、もうすぐ電気が来るだろうと淡い期待をしていたのですが、
全然電気が来ません。次の日の昼近くになってもまったく電源の復旧の気配はありませんでした。
ラジオからの情報では、苫東厚真の発電所がダウンし、全道が停電していて、順次発電所を稼働
しているけれど全部復旧するにはかなりの時間がかかりそうということはわかっていました。

朝の会議で、2日目の診療は基本的には制限しながら、歩いてくる患者さんの診療は継続(電気
はないので、検査などはできないが、投薬はできるので、その旨を話して受付とした)しました。
救急受け入れは基本的には断りましたが、通院患者さんで在宅酸素が必要な患者さんは2名入院と
しました。それ以降は入院も中止としました。
透析に関しては9月7日の透析は中止。明日以降に出来ることを見越して、中止としました。

そこまでを決めた後は、各自が持ち場の仕事をこなして行きました。私はラジオから流れる情報を
常に収集していました。
午前中は、予想以上に外来患者さんが来院され、20名以上が診察を受けました。

午後になり、電源車が来るという情報も来たのですが、結局まだ動けないということで、夕方
まで持ち越しになりました。
燃料の方は、順次確保することができ、自衛隊からのサポートがありドラム缶1缶を置いていって
くれたお陰で、翌朝まで自家発電の燃料の心配はなくなりました。

そうして時間が過ぎ、日が暮れ1階のロビーがどんどん暗くなっていきました。停電が続いたまま
2日目の夜を迎えました。
17時過ぎに1階のロビーに全員が集合。病棟の食事を配膳した後は、ほぼ急を要する仕事は
無くなったため、夜に向けたの体制を整え、明日の準備のため必要な人以外は各自自宅待機と
なりました。
残った人は、電源車がもし来て電源が復旧したときに備えて待機。電源復旧の際は、電子カルテ
のサーバーを立ち上げて、動作確認。また、翌日からの透析が出来るように準備するための
メンバーと数名のサポートの人間のみが残りました。

20時を過ぎても、電源車はやってきませんでした。もう今日もこのままかなと思っていたときに
いきなり「バン、バン、バン」と1階のロビーの電気が点灯しました。
「え?え?え?」「電源復旧???」 ようやく電気が戻りました。「本当だよね? 嘘じゃ
ないよね。また切れる?」などと言いながら、もう大丈夫でしょうと思い、思わず拍手を
してしまいました。

それからはすぐに電子カルテのサーバーを立ち上げてもらいました。透析のスタッフには
明日からの透析の準備を始めてもらいました。
22時にはサーバーが完全に復旧し、電子カルテの動作を確認しました。そして23時には透析の
準備もOKという連絡をもらいました。
ほぼ明日からの診療はできると判断しました。

23時30分すぎ、透析責任者の副院長と一緒に家に帰りました。地震発生の6日の朝3時過ぎから
約44時間が経過してました。まだ水道の断水のことは残っていましたが、電気が戻り明日から
通常に戻ると思い、ほっとして家に向かいました。

病院から帰る道、もうほとんどの信号と電灯がついていました。ほぼ電気が元通りになったと
思いました。自宅前の電灯もついているので大丈夫と思い、家に入ったところ、真っ暗。
「ん?」 声をかけても誰も起きません。それに家の電気は何もついていない。何?
あ!ブレーカー落としている!と思いました。まあ、偉いですね。
ブレーカーを入れると、家の電気が点灯しました。冷蔵庫のスイッチも入りました。

ほっとして、眠りにつきました。

(以上、長い文章でしたが、電源復旧までの小さなドラマでした。)

みなさん、ご無沙汰しております。今回は、北海道胆振東部地震および全道の停電で色々な方から
心配していただきありがとうございました。

今回はちょうど札幌市清田区里塚で地震で起きた液状化現象の起こった付近のすぐ近くに
当院があり、またその液状化現象で流れ出た泥が病院前の道路を完全に塞いでしまい、
そのため報道などにも何度も出たようで、全道停電のためテレビやネットの映像を見ていない
のは当院の職員ぐらいという状態が続きました。

以下、私の経過です。(記憶のみで書いているので、経過は前後しているかもしれません。また
冗長な長文になってしまいました。)

私は3時8分の地震発生でたたき起こされ、家族の無事と家の無事を確認。すでに停電状態のため
懐中電灯で家の中を動く状態でした。余震は心配しましたが、病院へ行く準備をして家を出発
しました。車で行くより、自転車の方が安全と判断し、病院へ向かいました。
病院に向かう途中はすべての信号、電灯が消えている状態で、夜空の星がとてもきれいで、
オリオン座がとてもはっきりと見えました。

病院近くに来たとき、いつも坂道を下って病院に着くのですが、その坂道の手前で迂回路を示す
看板が立っていました。(この時点でまだ交通整理する人はいませんでした。)
何でこんな看板があるんだろう?と思いながら、看板を避けて、いつもの坂道を下っていくと
その先になんとなく水がついているような感じが見えました。そのまますっと下っていくと
自転車が泥水にはまりかけ、危ない危ないと思い、左側の歩道の方に乗り上げたのですが、
そこもまだ泥水で自転車から降りました。少し、自転車を押しながら進むと、道路全体が泥水
で覆われいる状態でした。病院と反対側に降り立っていたので、この泥水の道路を渡って反対側
に行かないと病院に行けないと思い、渡ろうとしたら、足が泥に取られてしまいました。ちょうど
近くにいた人から、さっき向こう側に渡ろうとしてはまっていましたよと聞かされ、無理して
この道路を渡らない方がいいと判断。今来た坂道を引き返し、違う道から病院に行こうと
思いました。そして、坂道を少し上がって、左に折れて行こうとしたら、今度は崖のようになり
水が吹いているところに来てしましました。(実はそこが今回、報道されている液状化現象で
陥没してしまったところでした) まだ日が上る前だったため、よく前方が見えなくて、ここを
無理して渡るより、さらに遠回りして病院に行った方がいいと思ったところ、ちょうど看護部長
から病院前の道路は泥水で通れず、国道から回った方がいいと電話が入りました。
それで、ぐるっと遠回りして病院に到着したのが、4時10分頃でした。

病院に到着するとすでに、かなりの職員が出てきてくれていました。看護部長、事務長もすでに
到着しており、1階のロビーが緊急会議をする場所になりました。
ホワイトボードに今起こっていること、これからの必要なことなどを次々に書き入れ、情報共有
が始まりました。
病院の被害状況の確認、停電に伴う自家発電が始まっており、その燃料確保の問題、断水には
なっていましたが、当院には受水槽があったお陰で病院内の水道に関しては当初は大丈夫である
こと、液体酸素もまだ十分にあることなどなど、ボードに書き出しながら順次進めていきました。

9時過ぎには幹部を中心に対策チーム(?)を編成。各担当部分を決め、その都度大事な判断を
相談しながら決定していきました。診療に関しては、大幅に制限。入院依頼などの判断は院長の
私が担当、透析に関しては副院長に取り仕切ってもらい、病棟のことは看護部長が。燃料確保や
車や部品なの手配、外とのやりとりなどは事務長が担当。小さい病院だったからこそ、いつもの
コミュニケーションが威力を発揮しました。

2時間ないし3時間ごとに1階のロビーに集合し、情報共有をしながら電源の復旧を待っていました。
停電後からの一番の懸念は自家発電のことでした。燃料の軽油の備蓄は限られており、その確保が
常に問題になりました。(それが、結果的に看護師たちが自発的に『燃料』と書いた紙を病院の上
からテレビカメラに向かって出したことに繋がったのかもしれません。)

燃料は当初は近くのガソリンスタンドで確保できたのですが、それもすぐに追加はできなくなり、
午後には遠くまで確保に行きました。そのうち、保健所から燃料の配送希望の問い合わせがあり、
一度燃料車が来てくれました。

また、停電のため、電子カルテはまったく使えない状態でした。サーバーもダウンしており、
通常の診療は出来ない状況であり、また現在入院患者さんのデータも簡単にはわからない状態で
した。唯一、無線ネットワークから昨日までのデータを見ることが出来るノートパソコンが1台
あるのみでした。当初はそのパソコンで患者データも見ることができたのですが、徐々に無線回線
が不安定になってしまい、結局は停電初日はほとんど使えない状態になってしました。

時間経過は前後していますが、そういう中で連携している在宅の診療所からALS(筋萎縮性側索
硬化症)の患者さんの入院依頼がありました。以前、当院に入院しており昨年自宅へ退院して
いった患者さんでした。私の中では、自家発電の燃料の心配はありましたが、自宅で困っている
人を助けないと行けないと思い、みんなにALSの患者さんの入院依頼を告げ、すぐに動いてもらい
ました。当院まで来るのにも大変だし、当院の救急車に職員を乗せて迎えに行ってもらいました。
10時過ぎには無事病棟に入院。もちろん電子カルテは使えませんから、古い紙カルテを運用して
代用しました。

停電のため、光が入らない当院の1階のロビーは真っ暗で、外が明るいのにロビーの暗さに
びっくりする人も多かったと思います。その後も、在宅酸素を使っている当院の通院患者さん
から酸素を使わせてほしいと連絡があり、次々と外来へ。一般外来は制限していましたが、
こんな風に困っている人は受け入れるしかありません。酸素バルブがあるベッドで酸素投与を
続けてもらいました。

その後も何人かの在宅の先生から入院依頼があったのですが、すでの病室が満床状態でもあり
また自家発電の継続心配もあり、心を鬼にして断らせてもらいました。(困っている人を助ける
のが徳洲会グループの精神なのですが)
結果的にはそれが後で良かったことになりました。

副院長が以前、札幌医師会の災害救急の講習会に出ていたことがあり、EMIS(広域災害救急
医療情報システム『イーミス』)というものに登録していました。この災害時にスマホ経由
で当院の状況を報告したと聞いていました。
そうしたところ、保健所からの問い合わせがあり、そのときには燃料の件を報告できたし、
また厚労省からも病院の状況の問い合わせもありました。一番助かったのはDMATチーム
から人工呼吸器の患者さんの問い合わせでした。その時点で当院には緊急入院したALSの
患者さんを含め計4名の人工呼吸器が必要な患者さんがいました。自家発電の燃料が十分持つ
保証が無かったため、その時点でDMATチームに人工呼吸器患者さん4名を別病院へ搬送して
もらうことを決断。夕方17時以降に順次搬送してもらいました。2名は近くに降り立った
ドクターヘリに乗って、北海道大学病院へ。残りの2名は別々の救急車で北海道大学病院へ
搬送していただきました。

また停電直後からの懸案は透析患者さんでした。副院長も電源復旧を見越しながら、決断の
時間を見極めながら情報収集しました。もし停電翌日に復旧することが確実なら透析自体を
1日伸ばすだけなら大丈夫ですが、それ以上になるとまずいことになることは分かっていま
した。停電発生当日には早い段階で当院での透析は中止と判断しましたが、関連病院である
札幌徳洲会病院が復旧しており、9月6日に限ってなら透析患者さんを全員受け入れ可能と
言われ、全員搬送して透析することになりました。通院透析の患者さんは迎えに行って
札幌徳洲会病院へ搬送。透析を終えたら自宅へ送り届けました。当院入院中の患者さんは
順次当院の車を使って搬送。透析を終えて、当院に連れて帰ってきました。最後の透析患者
さんが戻ってきたのは21時30分頃でした。今、振り返れば停電当日に透析出来る患者さんを
全員札幌徳洲会病院で透析しておいたのが、翌日の余裕に繋がりました。

人工呼吸器の患者さんや透析患者さんのことが一通り落ち着き、朝からずっと働いていた
職員を順次帰していき、なんとなく1日目の夜を安堵しながら迎えようとしたときに、ふいに
ある女性がロビーに入ってきました。なんとなく頼み事がありそうで、話を伺うと当院に
通院中の患者さんが在宅酸素のボンベを大事に吸っていたが、残りが少なくなって不安そう
にしていたので連れてきたとのこと。名前を伺うと私の患者さん! 病棟の空きベッドを
確認しすぐに入院してもらいました。ご本人も入院出来てほっとしていました。

夜になっても電源復旧の見通しは立ちませんでした。札幌市内でも一部電気が開通したと
いう情報が入ってきて、病院のすぐ隣の家の電気が点灯し、ガソリンスタンドの電気が
ついたのと、その周辺の街灯がついたときはもうすぐこちらまで来ると期待しましたが、
まったく復旧の気配はありませんでした。

自家発電のエンジン音が響きながら、各自横になる椅子やソファを見つけ、各々が仮眠を
取りました。私も医局のソファで仮眠を取りました。
そうして、1日目の夜が更けていきました。

(長くなったので、つづく・・・)

2019年3月
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