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みなさん、こんにちは。悲しいお知らせが入ってきました。敬愛するアルフォンス・デーケン先生が9月6日に
亡くなられたそうです。昨日の朝の朝刊の訃報で知りました。社会面に「A・デーケンさん死去」の文字を見つけ
ショックでした。

デーケン先生と言えばユーモア。何度も同じ話をするのですが、やっぱり笑ってしまう。「にもかかわらず笑う」
のがユーモアだと常に言われ、自分が辛いときにも「にもかかわらず笑う」ということを心の中でいつも唱えていました。
私はミーハーなので、つい著者にサインをもらう癖があります。2008年11月に北海道大学のどこかでデーケン先生が講演されたときに著書の一つである「よく生き よく笑い よき死と出会う」という本にサインを頂きました。その後、いろんな講演会があるたびに参加し、いつも笑っていました。
中でも思い出に残るのは2011年9月のカナダホスピス視察研修ツアーです。(詳細は過去のブログや広報ふれあいの平成24年1月~6月に報告しています)
カナダのトロントとバンクーバーの施設をたくさん見学してきました。見学だけでなく、移動中のバスの中でもデーケン先生のミニレクチャーがあり、また一緒に夕食にも出掛けたりすることができ、今思えば本当に素晴らしい時間を過ごしたことと思います。
その後は色々な場所で再会し、いつもハグしてもらいました。そしていつも私の新しい子供が出来ましたと自分の著作を見せてくれて、ほんの宣伝を忘れないことも印象的でした。

数年前から体調を崩し、講演活動を一切中止したことは知っていました。2016年10月に札幌の開催された日本死の臨床研究会にもいらっしゃらなかったので、もう会う機会はないとは思っていました。

それでもデーケン先生から習ったことは忘れません。日本にホスピスを広めた功労者の一人でもあり、また死生学を広め死の準備教育が大切なことを常に説いていました。一人の教え子(勝手に思っていますが)として、自分のできることを続けていきたいと思います。

デーケン先生のご冥福を祈ります。

(2011年9月のカナダ研修ツアーの時にリラックスしているデーケン先生)

みなさん、おはようございます。8月上旬の連日猛暑が続く北海道とはうって変わってすっかり涼しいを
通り越し肌寒くなってきた今日この頃です。当院の外来にも熱中症になった人がポチポチとやってきた
のが懐かしい感じです。まだ8月なので半袖で過ごしていますが、この涼しさは自転車通勤には少し辛い
感じとなってきました。

我ら北海道日本ハムファイターズは8月に入り急降下は前回ブログで書きました。その後もなかなか浮上
しません。最下位オリックスと争っています。そして今週は期待の道東シリーズでしたが、2位の西武
ライオンズにまさかの3連敗。またやってしまいました。何がどうと言うわけではないと栗山監督も
言っていますが、まったく流れが良くないですね。この後は仙台での試合としばらく札幌ドームでの
試合がありません。来月札幌ドームに帰ってくる頃にはまったく何位になっているのでしょうか?
とても心配です。

さて、みなさんはNHKのラジオ深夜便というのはご存知でしょうか? 私はまだそんな夜更かしをする
人間ではないのですが、ここ数年来朝の4時から放送しているラジオ深夜便の『明日への言葉』を時々
聴いています。結構有名な人のインタビューが聴けたり、自分とは違う分野の方の話を聴けたりして
プチファンになっています。ですから、NHKオンラインのホームページででラジオ深夜便の夜の放送
予定をチェックすることをよくやっています。
実は今月の初めに我らの大先輩である柏木哲夫先生がラジオ深夜便に出るという情報が入ってきました。
その4時からの番組ではなく、1時からの時間帯に出るというのでした。
もちろん放送はとっくに終わっており8月3日の1時からの放送をタイマーで予約して先日聴きました。

【人ありて、街は生き】最後までユーモアを

柏木先生もたくさんの人を見送っていますが、1000人ほど看取ったあたりで心が重くなったようです。
そういうとき、ふと新聞の川柳を見てプッと笑い心が軽くなったことをきっかけにユーモアは大切だと
思うようになったようです。それ以来、ずっと川柳を続けているようです。
笑いの効果は色々なところにあることはすでに報告されています。番組では柏木先生の色々なエピソード
が紹介されていました。
笑うことは大切だが、痛みとうつの時は笑えないそうです。激烈な痛みがあるときには笑えない。これ
は私も経験があります。
ドイツにはユーモアの定義があります。「にもかかわらず、笑う」「愛と思いやりの現実的な表現」
ユーモアのつもりではなかったが、ユーモアになったこともよくあったと。

そして次の3つが大事なことだと。
体の安全:痛みがコントロールされていること
心の安心:心が安らかなこと
魂の平安:魂が安らかこと

こころと魂は違う。家族や友人から受けるこころ安心は結局横から来る。このような安心には頼られ
ない。でも魂は上からやってくる。魂の平安を持っている人は最後に強い。

末期には魂がむき出しになってくる。そのときに平安になっている方は最期まで強く生きると。
死は別れだが、再開の希望を持っているということである。

ユーモアのある人の人生は感謝のある人生。「ありがとう」と言っている。
散らす人生と集める人生がある。お金を自分のために集める人生と人のために使う人生。
1日24時間を自分のために使うのか、人のために使うのか。散らす人生を送る人の方が最期に平安を
迎えている気がするとまとめていました。

以上、内容を自分なりに書いてみました。

(NHKの関西発ラジオ深夜便で探すとまだ聞き逃しサービスで聴けますね。)

6月30日です。今年の前半が終わりました。早いですね。令和になって2ヶ月が過ぎました。
我ら北海道日本ハムファイターズは予想通り調子が悪いです。私も調子が悪くなってきました。 🙄
交流戦後半からの悪い流れが続いています。金曜日からのソフトバンクホークスとの3連戦は
「北海道シリーズ2019 HOKKAIDO be AMBITIOUS」と名付けて真っ赤なユニホームで戦いました
が虚しく3連敗。交流戦最後の中日戦から今年最悪の6連敗となりました。昨日、今日の試合の
どちらもあと一息なのですが、中継ぎ陣が踏ん張れなくて逆転されて負けてしまいました。
とうとう借金生活になり、4位という順位も妥当な状況です。苦しい状況ですね。
こんな時にも前向きな姿勢で頑張ってほしいです。

と、ついついファイターズのブログになってしまいました。

さて、土曜日にはNPO法人ホスピスのこころ研究所主催の講演会シリーズ「ホスピスのこころを極める
~柏木哲夫とシシリーソンダース~」の第3回の講演会が開催されました。たくさんの方が来場されて
柏木先生の渾身のお話が聞けたと思います。実は私はといいますと、看護部長と一緒に帯広で会議が
あったため出席できませんでした。とっても残念でした。詳細は別の方からの報告を見てください。

さあ、明日から7月。今年後半に向けて頑張りましょう。

みなさん、こんにちは。紅葉もすぎ雪の便りが聞かれるようになりました。いよいよ11月になりますね。
今回は先日開催された第2回徳洲会緩和ケアセミナーの報告です。

札幌の秋晴れの下、10月20日北海道建設会館で当セミナーが開催されました。昨年11月に引き続き2回目で
今回も当院が事務局となって開催しました。昨年は札幌徳洲会病院を開催場所に借りて、セミナーを実施。
講演を聴いたりする時には病院の8階の講義室は良かったのですが、ワークショップなどをやるには部屋への
移動があったりするため、今回は別の場所を借りることにしました。

今回は、少し参加者が多くなることを期待して札幌駅前の北海道建設会館のホールを借りました。昨年は
11月3日の文化の日に開催したのですが、やはり北海道は寒いという声も聞こえ、今年は10月中に開催する
ことにして、10月20日土曜日としました。

さて、プログラムの関しては、今回は私が中心になって進めることになりました。と言っても私一人の力で
出来るわけでもなく、みんなの力が必要で、工藤看護部長、下澤事務長といつも会議をしているので、
3人で構想を練っていきました。

昨年の緩和ケアセミナー(2017年11月のブログを参照)では、初めての開催でもあり、当院からの発信と
各施設からの発表および顔合わせという感じでした。全国から同志が集まり、とてもいい会が開催されたと
思っていて、今回はそれ以上のものをやりたいと考えていました。
まず、考えたのはどういうテーマを中心にやったらいいのかということ。事務長からは学会のようなメイン
テーマを求められました。言葉ではうまく表現は出来なかったのですが、多職種の集まりでチームの機能を
深められるような会が開催できればいいなと構想を練りました。
そこで、思いついたのが当院に傾聴ボランティアで来ている米本さんのことでした。まだ全国的にも珍しい
臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし)の資格を持っており、その視点でお話を伺うのがいいと思いました。
すぐに緩和ケアセミナーの特別講師の依頼を行い了承をもらいました。
その後、やはり昨年と同じく各施設からの報告も必要だと考え、セミナーの申し込み状況を見ながら、私が
独断で各施設の担当者に電話をかけ、施設発表をお願いしました。逆に是非発表したいと言ってくれた病院
もあり、助かりました。
昨年は最後に各分科会と称し、医師の集まり、看護師の集まり、コメディカルの集まりと3つグループ分けを
してディスカッションを行いましたが、今回は多職種でのディスカッションを目指し、職種に関係なく全員が
混ざり合うこと目指しました。中身に関しては実行委員会の他のメンバーにお願いして内容を吟味してもらい
ました。

そのようにして徐々にセミナーの内容が固まっていく中で、特別講演が米本さん一人ではやはり負担ではない
かという意見もあり、どうしたものかと考えていました。時期も開催まで2ヶ月ぐらいになっており、頼める
人もなかなかいないと思っていました。そのとき、工藤看護部長から急性期の病院で頑張っている人の話が
面白いんじゃないかとアドバイスがあり、そうだ!帯広第一病院の今井先生がいいねという話になりました。
当院で3年前まで一緒に働いていた今井先生は訳あって、帯広第一病院へ転勤。当初は総合診療をやるつもり
で帯広第一病院に就職したのに、緩和ケアのできるいい先生が来たと言うことで十勝地域初の緩和ケア病棟を
立ち上げる中心人物になったのでした。その過程で苦労したことが一杯あったと思うから、その苦労話を
セミナーで話してもらうと、徳洲会グループの急性期病院で緩和ケアを頑張っている人に勇気を与えることが
出来るんじゃないかという狙いでした。
すぐに電話で今井先生に講演の依頼をして了承をもらい、ほぼセミナーの全体スケジュールが決まったのでした。

セミナー当日は秋晴れの中、ぞくぞくと会場にみんなが集まってくれました。遠く沖縄からも中部徳洲会病院や
南部徳洲会病院からも大勢で参加していただき、本当にうれしく思いました。

セミナーは前野宏先生から開会の挨拶の後、『札幌南徳洲会病院 ホスピス15年のあゆみ』と題した私の基調
講演から始まりました。その後、午前中は2つの特別講演を行ってもらいました。
最初は、当院ホスピスに傾聴ボランティアで来ていただいている米本知昭(ちしょう)さんから『臨床宗教師
の働き ホスピス病棟におけるスピリチュアルケア』という題でお話をしてもらいました。何故、お坊さんで
ある米本さんにお願いしたかというと、彼はまだ全国的にも珍しい臨床宗教師(りんしょうしゅうきょうし)
という資格を持ち、今お坊さんでありながら医療の現場で活躍している方なのです。上湧別のお寺でお勤めも
しながら、札幌にも出てきており、色々なつながりから昨年より当院で傾聴ボランティアと働いている方です。
今回のセミナーを企画したときに、是非臨床宗教師というものを全国のグループのみなさんにも知ってもらい
たいと思い、早くから本人に講演をお願いしていました。
内容は、2011年3月の東北大震災を契機に宗教という垣根を越えた鎮魂が必要となり、亡くなった岡部医院の
岡部健先生の後押しもあり東北大学で養成が始まったとのことで、10年経たずに認定臨床宗教師という資格も
出来、米本さんはその一人なのでした。

もう一つの特別講演は帯広第一病院の今井貴史先生から『十勝地域初の緩和ケア病棟立ち上げまでのプロセス』
という講演でした。
今井先生は当院で3年前まで緩和ケア・在宅ホスピスを中心に働いてくれていたのですが、帯広第一病院では
総合診療をやる予定だったそうです。それが、札幌から緩和ケアの専門家が来たということになり、また
ちょうど緩和ケア病棟を作ろうという話が持ち上がっていたところでの赴任だったようで、結局は彼が中心に
なって帯広第一病院で十勝地域初の緩和ケア病棟を立ち上げることになったのでした。その約3年間の苦労話
は、絶対に急性期病院で緩和ケアをやろうとしている人々に希望を与える内容になるのではということで、
今井先生には忙しい中、札幌に出てきてもらい講演をしてもらいました。
内容はいわゆる急性期の病院に緩和ケア病棟を作る上での苦労話。まず文化の違いから変えないといけないと
いうことでした。何度も心が折れそうになり、辞めたいという気持ちになりながらも踏ん張りながら、今年の
2月に十勝地域初の緩和ケア病棟を作ることが出来ました。その頑張りに拍手を送りたい内容でした。

昼食を挟み、午後からは各施設の発表としました。昨年も行いましたが、今回は時間の関係もあり、6施設に
限らしてもらいました。南は沖縄の中部徳洲会病院から始まり、医師や看護師からそれぞれの病院の取り組み
が聞けて、時間が足りないくらいでした。

そして最後のセッションは多職種によるワークショップでした。
昨年のこの緩和ケアセミナーでは、各職種(医師のグループ、看護師のグループ、その他コメディカルの
グループ)に分かれてそれぞれの職種でテーマに沿って話し合いをしてもらいました。この時は各病院での悩み
事などを話す場となり交流を深める上で目的は達したのでしたが、今回は職種の垣根を越えたディスカッション
をやってもらい、それぞれの役割をもったチーム医療の実践をやってもらいたいと考えて、ワークショップの
企画をしました。
がんの終末期にある患者さん(仮想症例)を提示。8人ずつに分けたグループでテーマに沿って話し合ってもらい
その患者さんと家族の意思決定支援を考えてもらうという企画でした。私としては、当院のカンファレンスでは
いつもやっていることですが、このようなセミナーに参加したみんながうまくディスカッションしてくれるか
心配でした。しかし、実際ワークショップを始まると、私の懸念も必要なくどこのグループも積極的に発言し、
職種を超えて自分の意見を言っているのが印象的でした。急性期医療を提供している徳洲会グループの病院で
緩和ケアを広めるにはなかなか難しいと今まで思っていましたが、今回のワークショップを経験して、緩和ケア
のマインドをもった人たちがこんなにも集うとこんなにもうまくいくのだと実感しました。
ある参加者の人が発言していましたが、「ここにいる人たちがもし自分の病院にいたら、どれだけ心強いか、
仕事がしやすいかと思った。」と。
これからも徳洲会グループ内で緩和ケアが広まっていくと確信しました。

セミナーの後は、移動して昨年と同じアサヒビール園でジンギスカンを食べ、緩和ケアの仲間との交流を深め
解散となりました。

以上、第2回徳洲会緩和ケアセミナーの報告でした。

今日は、午後から岩見沢まで出張。北海道中央労災病院での講演会でした。以前、当院のホスピス病棟では
北海道医療大学の認定コースで緩和ケア認定看護師になるための病院実習を受けていたのですが、(現在、
北海道医療大学ではその緩和ケア認定看護師のコースは無くなっています)そのときに病院実習に来た
K看護師さんに昨年のとある学会でばったり再開。私に是非自分の勤める病院での講演を頼みたいという
ことがきっかけでした。

さて雪が多い岩見沢ということでやはりJRの方が確実かなと思い、特急で札幌から岩見沢へ。なんと25分
で到着。座ったらすぐに次は岩見沢と車内アナウンスがあった感じです。北海道中央労災病院ですが、以前の
「岩見沢労災病院」のことで、結核やじん肺など専門に見る病院です。病院は外見はそんなに古くは感じません
でしたが(当院も古いので)、一番古いところは60年も経つようです。廊下の天井が低かったので、やはり
古い感じはしましたね。

今回頼まれたテーマは『緩和ケア病棟における終末期鎮静の実際』 つまり鎮静ということです。北海道
中央労災病院でとった職員のアンケートでも、鎮静に関してやはり普段から悩んでいるということで、実際
我々が、当院のホスピス病棟でにやっていることを聞いてみたいということでした。
講演は約1時間。最後には、ちゃっかりと当院ホスピス病棟の宣伝もしてきました。(力が入って紹介が長く
なってしまいました) もし患者さんがいれば、是非紹介して下さいとお願いしましたが、岩見沢からは来る
のはちょっと遠いですね。でもこれも営業活動ですね。

夜は懇親会に出て、JRで札幌に帰ってきました。その日のうちに家に着けるなんて、やはり岩見沢は近い
と思いました。

さる11月3日の文化の日に表題のセミナーが開催されました。場所は札幌徳洲会病院でした。

まず、ここに至るまでの経過と、当日の様子の報告をします。

当院は平成8年より徳洲会グループ入りをし、平成8年5月1日より『札幌医療生活協同組合 札幌南青洲病院』
になりました。最初の数年間も経営的には苦戦をし、関連病院である札幌徳洲会病院から医師の応援をもらい
ながら診療を行っていたようですが、ほぼ毎年のように院長が変わる状況でした。
そこで、平成13年4月に前野宏先生が新しい院長として赴任してきました。彼が行ったことは、徳洲会の理念
の「いのちだけは平等だ」と共に「ホスピスのこころ」を病院の理念に加え、運営を行ったことでした。
それまで、外科や脳外科などがあり、手術もやっていた急性期の病院だったのですが、内科と緩和ケアを
2つの柱として、経営をやっていきました。
その「ホスピスのこころ」を実現する象徴的存在として、平成15年11月に徳洲会グループ初の緩和ケア病棟
を開設しました。当初緩和ケア病棟を開設するにあたり、前野宏先生の熱意を受け入れてくれたのが、当時
徳洲会理事長であった徳田虎雄先生であり、多大な支援をもらいました。

当初、徳洲会グループにおいてはホスピス緩和ケアは関心はあったものの、実践する病院は当院以外には
ありませんでした。全国のグループ病院の方達が何人も見学に来られたり、新病院建設時には緩和ケア病棟
も開設したいという話があちこちから聞こえ、当院の病棟の図面やノウハウなどを教えても、緩和ケア病棟
開設にはつながらず、10年が経過していました。
しかしながら、その後の徳洲会グループにおいても救急医療だけでなく、がん医療も強力に推進する機運が
高まり、それに呼応するように緩和ケアも徐々に必要性が認識されていきました。そういう中で徐々にあち
こちの病院に緩和ケア病棟が開設されていき、自分たちの仲間が増えることにうれしさを感じていました。

何年か前から、前野先生が「そろそろ徳洲会グループでの緩和ケアの集まりをやりたいね。」という話が
持ち上がっていました。他の診療科では、心臓血管外科部会とか、脳神経外科部会や、また消化器グループ
の『Endo Club』なと魅力的な集まりが始まっていることがわかっていました。緩和ケアの集まりをやるに
しても、どこでどういう形がいいのかと模索していました。最初は、日本緩和医療学会や日本死の臨床研究会
などの年次大会に合わせて、徳洲会緩和ケア部会というものをやろうかということも考えましたが、場所や
また会うタイミングなどから、やはり学会期間は難しいなあと思っていました。
昨年、ちょうど札幌で第40回日本死の臨床研究会年次大会が開催され、前野宏先生が大会長で、当院が事務局
だったので、一瞬やってみようかと前野先生と話したのですが、あまりにもスケジュールがタイトなので
止めにしました。

そして、今年。春頃に前野宏先生から、「そろそろ徳洲会グループでの緩和ケアの集まりをやろう。」という
ことになりました。言い出しっぺは私たちですから、当院が事務局。場所は当院では狭すぎるので、札幌
徳洲会病院の部屋をお借りしようということで話が進みました。
前野宏先生が全体の構想を練り、全国の緩和ケア関係の先生方に講演の交渉を行い、あとは当院の事務スタッフ
がフォローするという形で始めました。
集まりの会の名称は徳洲会緩和ケア部会というのも何だし、『徳洲会緩和ケアセミナー』にしようという
ことになりました。
徳洲会は現在全国で71病院。緩和ケア病棟をもっている病院だけでなく、緩和ケアチームもあるので、
どれくらい参加者が集まってくるのか、まったくわかりませんでした。また当院が主催するという都合もあり、
11月3日という休日に開催することになり、全国から集まってきてもらえるのかという不安もありました。
しかし、実際案内状を徳洲会グループの各病院に送らせてもらうと、あちこちの病院からたくさんの参加
申し込みがありました。緩和ケアの集まりですから、もちろん多職種(医師、看護師、薬剤師、理学療法士、
ソーシャルワーカーなど)からの申し込みがあり、最終的には約55名もの参加者が集うことになり、開催側と
しても嬉しい悲鳴でした。

11月3日は朝10時30分から、札幌徳洲会病院の8階講堂カントコトロに全員が集合。当院からの参加者も
含めれば、80名物参加者があつまり、講堂はほぼ一杯になりました。前野宏先生の基調講演から
スタートし、当院のソーシャルワーカーの下倉さんによるMSWの働きについての講演。午後には、徳洲会
グループの各病院からの現状を話してもらいました。(全部で10病院)
前半は緩和ケア病棟をもっている病院、後半は緩和ケアチームが活動している病院。それぞれ、急性期の
治療を行いながら、患者さん・ご家族のために頑張っている様子がヒシヒシと感じられました。

その後、吹田徳洲会病院の馬場美華先生の生命予後のお話、千葉徳洲会病院の伊東理砂先生のスピリチュアル
ケアの実践のお話とためになる講演でした。

最後は、分科会に分かれ、医師、看護師、コ・メディカルと3グループに分けてそれぞれディスカッション
を行い交流を深めました。

閉会式では、前野宏先生がこういう会を徳洲会グループで開催することができ、また仲間との交流ができた
ことを感慨深く話しておりました。この会が今後も続いていくように話されていましたが、どうも来年も
札幌でやりそうです。\(^o^)/
札幌南青洲病院でこのような会を開催できたことも、大きなステップだっと思います。(色々な意味で)

懇親会は、アサヒビール園でジンギスカンを食べ、徳洲会グループでの緩和ケアの普及に頑張っていこう
と誓い合いました。

以上、第1回徳洲会緩和ケアセミナーの報告でした。

先週の土曜日、ホスピスの遺族会(ひだまりの会)が開催されました。今年で12回目を数えます。
今年のホスピスの遺族会は平成27年4月から平成29年3月までの2年間で当院のホスピスで亡くなられた
方のご遺族に対して開催しました。9月と10月の2回開催することで、できるだけ多くの方が参加して
いただけるようにしています。
今回の10月は2回目の遺族会で、参加者は5家族7名の方でした。例年の中では少ない参加者でしたが、
全員でテーブルを囲んで丸くなったような形になり、皆さんの顔が見え、また声も十分届く距離で
いい感じとなりました。
ひとり一人に想い出などを語ってもらい、短い時間があっという間過ぎました。

その中で印象に残った言葉が二つありました。

今日のキーワード:
「あんさん」
「お父さん、お見事!」

どちらもご遺族から聞いたお話です。まず1つめは、『あんさん』
当院ホスピスで亡くなられた高齢の男性のお話です。数年前に当院の近くに奥さんと引っ越してきた
そうです。どうも体の具合が悪かったようですが病院にはずっと行かなかったようです。それでもようやく
病院に行って検査を受けたところ、末期の癌とわかったようです。それで、転院手続きをして当院の
ホスピスに移ってきました。痩せてはいましたが、まだ頑張ることが出来たので、ホスピスでの催し
物に参加したりして楽しんでいました。しかし、徐々に状態は悪化し、衰弱していったようです。
いよいよ厳しい状況になったことが、スタッフから奥さんに伝えられ、道外在住の息子さん二人が
駆けつけました。元々口数の少ないお父さんだったようで、あまり辛いとは言わなかったようです。
駆けつけた長男がお見舞いの合間に食事に外出するためにホスピスの部屋から出ようとしたとき、
ご本人から『あんさん』という言葉が出たようです。出身が東北地方の方で『あんさん』というのは、
お兄ちゃんを意味しているそうです。その言葉を聞いた長男さんもビックリして食事に出かけるのを
止めたそうです。
奥さんからの話では、ご本人は息子さん二人に手を握られ、静かに旅立ったとのことです。こんな
最期を迎えられて幸せな夫はいませんとのことでした。

2つめは、『お父さん、お見事!』
この方も男性です。実は私の担当の患者さんでした。がんという病気がわかり、治療するかどうか
迷っているときに私と関わることがあり、治療はせずに緩和ケアを選択して最期までしっかり生きた
方でした。経過中にも色々なエピソードがあり、それも印象深かった方でしたが、ご家族もご本人
を支えていました。この男性と奥さんと長男家族が同居されており、娘さん二人は関東在住という
状況でした。関東在住の娘さん達は交替で両親のお世話に札幌に来ておりました。
徐々に病気が進んでいる中、がんがとうとう脳にまで転移していることがわかり、自宅での療養は
難しいと判断しホスピス病棟に入院しました。比較的穏やかな日々が続きましたが、確実に病状は
悪くなりました。ご家族から最後に自宅に外出させたいという希望があり、亡くなる2日前でしたが、
車で出かけてきました。かなり体に負担にはなったかもしれませんが、ご本人もご家族も家に帰れた
ことに非常に満足していました。
その日からはこちらからの問いかけやご家族の声はわかったようですが、ご本人はほとんど話せ
なくなりました。
そうしていよいよ最期の時が近づく中、妻と娘さん二人が両手を握りながら本人に声をかけていた
そうです。3人でご本人の両腕の橈骨動脈を触りながら、まだ脈があるとか、少し弱くなったとか
話していたとのこと。そして徐々に脈が遅くなっていったのが、娘さんにもわかったようです。
呼吸も弱くなり、脈の間隔が延びて、そして脈が止まったそうです。そうしたら長女さんが、
『お父さん、お見事!』と叫んだそうです。妻は悲しい気持ちより、その言葉に思わず圧倒された
そうです。苦しまず、安らかな最期を妻と娘さんと3人で共有できたことが良かったと言っていました。

一人ひとり違った最期の迎え方があり、そのドラマに一旦を見させていただいた時間でした。

以上、ホスピスの遺族会の報告でした。

皆さん、こんにちは。前回のブログに書いたように秋田で開催された第41回日本死の臨床研究会年次大会に
参加してきました。昨年の第40回大会はここ札幌で開催され、当院が事務局をやっていたため、大会期間中
はずっと裏方の仕事でした。
今回は、一人の参加者として、また事例検討の座長を頼まれたので、それ役割を全うするのが私の仕事でした。

今回の秋田への旅の前にでビックリしたことがありました。それは、大学時代の同級生が突然連絡してきた
ことでした。彼は現在、秋田市内に住んでいたのでした。
前回のブログに、「今週末は秋田で開催される日本死の臨床研究会年次大会に参加します」と書いたことが
きっかけでした。とっても久しぶりのブログだったのですが、大学時代の同級生はふとそのブログを見たそう
です。何度か札幌に来たこともあったようですが、わざわざ呼び出すのもどうかなと思いながら年月が過ぎて
いたようです。そこに秋田に来るという情報が入ったからにはこれは連絡しないと思ったようで、突然病院に
連絡が来ました。「・・・だけど、覚えている?」という電話でした。そりゃ、覚えていますよ。「なんで
電話してきたの?」という問いは、上記に書いたことだったようです。
早速秋田入りした日の夜に会いました。医学部卒業後、10数年。二人ともちょっと老けました。それでも、
なんか懐かしい感じでした。秋田の飲み屋街に連れて行ってもらい、二人でゆっくりとお酒を飲みました。
秋田の人は、まずビールで乾杯はしても、すぐに日本酒に切り替わるそうです。いくつかのお酒を飲み、
ちょっと二日酔いになってしまいました。

大会初日の午後に事例検討の座長をやりましたが、発表者の内容も良く、参加したフロアからも活発な意見
が出て、とても勉強になった事例検討でした。

2日間楽しんで、夜遅く札幌に帰ってきました。

今年の標記の大会は久留米で開催されました。昨年は10月に日本死の臨床研究会年次大会を札幌で開催し、
当院が事務局となったため、大会が終わるまではどこの学会にも行く気がしませんでした。

死の臨床研究会年次大会が無事終了してホッとしたところ、パンフレットで上記大会が2月に開催される
ことを知って、参加することにしました。
大会は2月4日、5日の二日間の開催で、大会長は二ノ坂クリニック院長の二ノ坂保喜先生。以前、札幌に
講演を来てくれた先生です。大会プログラムは盛りだくさんでした。

その中でもやはり注目はマギーズ東京の秋山正子さんのお話でした。ちょうど、2週間前東京出張に際して
見学したところでもあり、その秋山さんからまとまったお話を聞けたことはとても良かったでした。

秋山さんの講演会は、『白衣を脱いで町に出よう ~マギーズ東京のこころみ~』という題目でした。
秋山さん自身の簡単な自己紹介、自分がたどった歴史などをかいつまんでお話し、その想いがマギーズ東京
につながっていきました。実際、マギーズ東京が東京の豊洲に出来ることにも、色々なドラマがあった
とは思いますが、そのマギーズ東京でやっていることがこれからはとても大切なことではないかと思いました。

我々は医療者という資格を持っています。どんなに気持ちや態度で接する人と同じ視線を合わせたとしても、
それが病院という建物中であれば、患者さんや家族は言いたいことも我慢してしまうという事実。
診察中に雑談ができますか?という問い。患者さんは、診察の待ち時間が長くなり次の患者さんが待っていれば、
言いたいことを我慢してしまいますよね。

マギーズ東京を作って、色々な人に利用してもらっているが、そこで相談を受けるスタッフはもちろん専門職
(看護師や臨床心理士など)ではあるが、病院という器の中にないことがいい。何気ない話から始まる。
雑談、身の上話、気になることなど、相談しに来た人の話をそこにいるスタッフはじっと聞いてくれる。
何かアドバイスをしてくれるのではない。話すことで、相談者が自分から答えを見つけるのを手助けしている。

当院では、緩和ケア(ホスピスケア)を提供しているというが、本当にニーズに応えているのかなと考えて
しまった。がんの終末期には、もちろん色んな問題が出るのは確かだし、そこに専門職がタッグを組んでいくのも
大切ではある。しかし、本当に困っている人を我々は助けているだろうか。そんな疑問がわいてきてしまった。

今年はは2017年。あと数年もすると多死社会は確実にやってくる。そして、若者は減って、高齢者が増え、
2040年をピークに日本は確実に人口が減っていく。そういう中で、我々医療者だけで、すべてをまかなえるとは
思えない。再びみんなで助け合って行かない限り、生老病死は支えられないのではないかと少し不安も感じる大会
でした。

ひだまりの会(その2)

| ホスピス関連 |

先週の土曜日、今年2回目のひだまりの会(ホスピス病棟の遺族会)が開催されました。今回は、
11家族19名のご家族が参加していただけました。
今回のホスピスの遺族会は、平成26年4月から平成28年3月までの2年間で当院のホスピスで亡くなられた
方のご遺族に対して開催しています。前回の9月と今回の10月の2回開催することで、できるだけ多くの方が
来ていただけるように配慮しているのと同時に、たくさんのご家族がいらっしゃると我々スタッフとゆっくり
お話ができないことが過去にあったため、年に2回開催しています。

今回もいつもと同じように暖かい時間となりました。懐かしいご家族が久しぶりに病院に来られ、担当だった
スタッフ(看護師、ソーシャルワーカー、医師達)に会うだけで、言葉にできないものがあふれます。
遺族会の中では色々な立場の方達からお話を聞きますが、なかなか亡くなった患者さんのことを忘れることが
できず、この病院の近くに向かうのも勇気が必要だったけど、今回思い切って来てよかったと言われる方。
病院に向かう道を走っていると、入院していたときのことが思い出され、なんとも言えない懐かしい感じを
感じられた方。スタッフに感謝を伝えたくて、いらっしゃった方。

毎年開催していると、このような会(遺族会)をやっているなんて素晴らしいと言っていただけるご家族が
必ずいます。外国のホスピスの要件には、ご遺族に対するグリーフケアを提供することということが
必須条件になっています。当院のグリーフケアもこの遺族会だけでは十分とは思っていませんが、少しでも
役に立つのではと思って、毎年行っています。

今回の会も最後にご家族にメッセージカードを書いてもらい、「想い出の木」に貼りました。その内容は
ホスピスのひだまりブログを参照してください。

今回のひだまりの会も終わった後には、何か幸せな気持ちになりました。また、明日から頑張ろう。

2020年10月
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