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マネジメント

看護補助者さん 絶賛募集中です

こんにちは。やさしさビタミンブログの工藤昭子です。
新年が明けて早10日が過ぎました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

のっけからお願いごとですが・・
当院では昨年の11月から看護補助者さんを募集しております。
ホームページやフェイスブック、もちろんハローワークなどにも出しているのですけど、さっぱり募集がありません。

年明けにある師長さんから「部長、ホームページのトップページに“現在募集しておりません”って書いてありましたよ。あれでは応募は来ないのではないでしょうか?」と言われました。

ありゃー。全然気づいていませんでした。
看護部サイトにはもちろん募集記事を出していたのですが、トップページの採用欄はチェックしてませんでした。
トップページ→採用情報→募集なしとわかれば、それでページを閉じられてしまいますよね。

木を見て森を見ず。
新年早々猛反省です。

ということで改めまして、当院では病棟勤務の看護補助者(常勤)を絶賛募集中です。
シーツ交換と病室の環境整備、配膳・下膳、リフト浴の準備と介助など、お仕事の範囲は環境調整とケアの援助が中心です。
ときには患者さんに寄り添いお話を聞いたり、ときにはイベントの準備をしたり、患者さんとのふれあいのある職場です。
高齢者のケアが好き、という方に来ていただけるのをお待ちしています。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
今年も明るい方へ。

一語一笑(いちごいちえ)ふたたび

目標を立てるときというのは、ずいぶんと考えるものです。
看護部の目標というのは、そこに何を意味付けするのかを折に触れて伝え続ける必要があると思っています。
事業上の定量化できる目標、たとえば事故を減らし患者さんの回復を高めるようなことは、当然行動計画の中には入っていますけれども「安全な療養環境を提供する」というような目標は当たり前すぎて、私は掲げる気持ちにならないのです。
それでどちらかというと人材開発や仕事への姿勢のような、定量化できない目標を掲げるようになっていきました。
ただ、これだけだと何かとても偏っているような感じがして「これでいいのかなあ」とも思っていました。
まあ、要するに自信がなかったんですね(笑)。

昨年の目標「一語一笑」について、ひとりひとりのシーンをまとめ音楽をつけて
e-learningにしたことを以前ここで書きましたが、その後e-learningを見た職員の感想がまとまりました。
一読して私は鳥肌が立ちました。

96%の看護職員が視聴してくれ、なおかつアンケートにも答えてくれました。

「今年度の目標、一語一笑を意識した看護ができましたか?」という設問には
かなり意識できた・・・・・・12.5%
少し意識できていた・・・・・59.7%
あまり意識できなかった・・・26.4%
全く意識できていなかった・・1.4%
という結果でした。

なんと7割以上の人が「一語一笑」を意識してくれていました。
すごいなあ。こんなにたくさんの人が? 正直びっくりしました。

自由記載の欄にかかれていたことを少しだけご紹介すると・・

????時間に追われてできないことがありました。e-learningでいろいろなエピソードを知ることができました。繰り返し見ることができるので、よいと思いました。
????もう少し時間を取って患者さんと関わりたいと思うけれど、一言だけでも十分関われることがあるんだなと思う瞬間がある。忙しくても一言一言大切に過ごしたい。でも自分の心が元気じゃないとできないこともある。だから自分自身のケアも大切にしたい。
????「一語一笑」ってどういうことなのかなあと思ったまま一年が過ぎました、すみません。でも今回のe-learningを受講して「そういうことだったんだ!」と理解しました。この一年を振り返ってみるとたくさんの「一語一笑」があったなあと思いました。他の方の素敵なエピソードに感動し、涙が出てきました。
????一語一笑のシーンはもっとたくさんあるはずなのに、忙しさに流され忘れてしまうから、「これは」と感じたことを書き留めておこうと思います。
????素敵な動画でした。夜に見たのですが、今日の疲れが取れました。癒され、感動して泣きそうになりました。素晴らしい感性のある方々ばかりだと確信し、一緒に働けることがうれしくなったし、明日からも頑張ろうと思えました。ぐっすり眠れそうです。
????自分の気持ちに余裕がないとき、時間に追われているときは笑顔がないんだろうな。患者さんにバレバレだったんだろうな。今日から、今からできるだけのことをしよう。人生はたいした長くないから。
????特別なことではなく、何気ない一言が大切なのだなと感じました。
????私たちがアクションを起こして患者さんを元気にすることばかり考えていましたが、私たちも患者さんから笑顔をいただいているなと改めて気づきました。

目標がよくわからなかったという人も、みんなのエピソードを共有することができたことで、1年経って「そういうことだったんだ!」と気づくことができました。こうした発見をした人は「なるほどじゃあこれからやってみよう」という行動になりそうですね。
「日々の忙しさに流されぬよう、書き留めておこう」それもいい決心です。一日の終わりに手帳に書いておくといい足跡が残りますね。
掲げたことを実現するのは一人一人の職員です。教育委員会が作ってくれた効果的なe-learningのおかげで、集合研修じゃなくても、むしろ一人ひとりの声を拾い上げることができました。

私自身は、伝えたから伝わっているはずと思うなかれ、と肝に銘じました。その人が関心を持って取り組むのには、きっかけと価値の受け止めが必要と改めて感じました。
まだまだ修行が足りません。でも目標がこんな風に日々の姿勢に染み入ることができて、うれしかったのです。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
毎日コツコツ。

初めてのCANDLE NIGHT

2月10日に「CANDLE NIGHT」というイベントを開催しました。

場所は4階のテラス。普段は花を育てているところですが、サンルームからテラスに並べたアイスキャンドルを眺めるって、非日常的でいいんじゃないかと思ったのです。

1月半ば、私と医局クラークのMさんはアイスキャンドルを作るところからスタートしました。
栄養課で毎日出る牛乳パックと空き缶を利用して、まるで理科の実験みたいに色を付けたり、お湯から作ると透明な氷になるらしいとか言いながら、毎日数個ずつ作っていきました。
無印良品のキャンドルが、中に入れるのにちょうどいいサイズ。

キャンドルだけじゃ物足りないので、途中で小雪像を作ろうと欲が出てきました。テラスに積もった雪が少なく、気温が上がって思うようにいきませんでしたが、施設管理のTさんと看護部有志が手伝ってくれて、オラフやチコちゃん、雪ウサギなどができました。

「CANDLE NIGHT」という素敵なチラシを作ってくれたのはUさん。
さらにそれを拡大して記念撮影スポットを作ってくれました。

音楽療法士の工藤先生がオルゴールのような音色で生演奏をしてくれて、ムードは満点。
病棟ナースはもちろん、他部署の職員やボランティアさんが患者さんの移送を手伝ってくれました。
「患者さんに喜んでもらおう」という目標があって、仕事の中にこうした遊びの要素があるというのは、スタッフも心がひとつになり、お祭りのようでなんとも楽しいものです。
そういうとき、一人一人が自然とリーダーシップをとるんですね。
「このイベントをもっとよくしよう」という人たちがそれぞれにいい仕事をしてくれて、何も言わなくてもいい具合に仕上がって行きました。
まだまだ未完成な部分があるけれど、まずは一度形にしてみるってことが大事な気がします。

夕暮れに温かい炎が揺らめいて、小雪像たちも一層引き立ちます。
患者さんたちが「わ~かわいい」「きれいだねえ」と、まなじりを下げ、感極まって涙を流される方もいらっしゃいました。
思い思いに記念写真を撮り、短い時間でしたが楽しんでくれたようです。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
一粒で何度もおいしかった~~

今年やらないこと

新病院移転まで160日を切りました。
引っ越しに向けて、身の回りを少しずつ片付けています。

学生さんが見学に来た時に、お土産に渡すつもりだったボールペンや付箋など、引き出しいっぱいに取ってあったのですが、今年もこの分だと見学はなさそう。
「欲しい方どうぞ~」と事務室前に置いてみたら、あっという間になくなりました。
引き出しにしまわれているより、使ってくれた方がモノも喜びますね。

今年一つ、やらないことを決めました。
たいしたことではありませんが「机の左側に物を置かない」ということです。
私はやりかけの仕事を、机の左側に「とりあえず」置いてしまう癖があって、あとで読もうと思っている雑誌とか、時期が来たら出そうと思っている稟議書とか、どんどん積み上げてしまうのです。
いっとき棚上げするとそれで見返さなくなったものがいかに多いことか。
年末に高さ20センチくらい(もっとかな)の山を片付けたら、3年越しの稟議書があって、自分のだらしなさに呆れました。

それで、職場でも自宅でも、机の左側にはものを置かないって決めたんです。
途中のものごとは定位置に戻して、時々確認する。
雑誌は見出しを見て関心のあるものだけをチェックし、すぐ書架に収める。
今日途中で終わったものは机の真ん中に置いて、翌日最初にその続きをする。
停滞させないって感じでしょうか。
こんな風にして今のところ、約ひと月続いています。
あたりまえですけど、机がきれいだと気持ちがいいものですね。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
増える一方の本もどうしましょうかね。

春支度

春は新たな出会いが訪れる季節。
今年の春は、いつもよりたくさんの職員が入る予定です。
ありがたいことに、職員からの紹介で入られる方がとても多い年です。


これはとてもうれしいことです。
自分の働いている職場に友達を誘う、というのは看護部長が1万回病院説明するよりも効果的です。
給料・残業・ボーナス・人間関係etc.
酸いも甘いも本音で伝わってから、その方たちは病院説明会に来られる。
だいたいのことは友達から聞いているので、
「この看護部長は嘘を言ってないか? 信頼できそうか?」と見られている気がします。
理念を語りながら、そういう視線を感じてちょっぴり緊張します。


私は就職前に3回はお会いします。
まずは説明会で。次に面接で。そのあと健康診断で。
それからメールでも何度か言葉を交わします。
次に病院に来られるときに、できるだけ戸惑わないように。
働く日を楽しみにしてもらえるように。

「ここへ来てよかった」と思ってもらえたらいいな。
この人が現場に入ったら、どんな化学変化が起きるだろうな。
患者さんは喜んでくれるかな。

そんなことを考えながら、春の支度をしています。

今日もこのブログに来てくださりありがとうございます。
まだまだ、冬真っ盛りです。

足音を聞かせなさい

「足音を聞かせなさい」とは
だいぶ前に新聞のコラムで読んだ言葉です。
出勤前にあわただしく読んだのでうる覚えですが、コラムの作者はある時から畑を始めました。
身近に畑のことをいろいろ教えてくれる先生がいて、冒頭の言葉はその先生のことばです。
「日々畑に行って、何もなくとも植物に足音を聞かせなさい」というような話でした。

なんと含蓄のある言葉だろう、と私は思いました。


植物を育てるのだから、日々何もないとは言えず、虫に食われていないか、病気になってないか、水は足りているか、観察と手入れが大切です。
「植物にあなたの足音を聞かせる」ことによって、まるで植物が「あ、いつもの人が来た」と聞き分けるかのようなイメージが浮かびます。
触ってもらった植物はうれしくなるし、ちょっと弱っていた植物は虫を取り除いてもらってほっとする。
それから畑をやる以上、最後まで責任もってやりなさいよ、という叱咤激励にも聞こえる。
植物だってあなたの行動をちゃんと見聞きしているよ、という戒めにも聞こえる。

日々そんなことをくりかえす間に、足音をききわけた植物が次第に大きく美しく育っていく。
きちんと見守っていたら期待に応えてくれるよ、という励ましでもある。

「足音を聞かせなさい」というのは、「毎日畑に行って水やりをし観察しなさい」という命令ではなく、その人の自発性というか、自律性をくすぐる言葉のように聞こえます。
植物の周りを「ただ歩いて見回っている」のではなく、足音を聞かせるんだと意識することによって、対象への心持が変わる気がします。

さくさく(歩く音)
おはよう
今日はいいお天気だね
さくさく(歩く音)
立ち止まる
ぷちっ(何かを手折る音)
ちょろちょろ(水の音)
さくさく

足音を聞き分け「あ!いつもの人が来た!」「ねえねえお水ちょうだい」と沸き立つ植物たちの様子が、脳内でアニメーションとなって動き出します。
正直言うと「今日は雨の予報だから」と言うときは朝の水やりをさぼっていたもので・・。
大いに反省しました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
つまりは看護と管理にも通じるもので。

札幌南徳洲会病院の緩和ケアで働きませんか?

今日は看護職員募集のご案内です。
いつもブログを読んで下さっている方には「あれれ?」の内容かも知れません。
でも大事なことなので書かせていただきますね。

おかげさまで当院は来年7月に新築移転に向けて着々と準備を進めております。
そこで今は来春の募集とともに、年初めから働く人を若干名募集しております。

現在緩和ケア病棟は1つ(18床)ですが、移転後は2つ(20床×2)になります。
2021年度は引っ越しもあり、新しい環境になるので少々忙しくなると思っています。
その忙しさを一緒にワイワイしてくれる方が嬉しいです。

来てくれた方と和やかで温かいチームを作り、よいケアを継続するためにどうしていけばいいか、一緒に考えていけたらいいなあと思います。

私たちはなにより、最期までその人らしく生きることを大切にしています。
そしてご家族のことも丸ごと考えるようにしています。
私たちのケアがその人にとってよかったのかどうか、患者さんに教えていただき、それをふりかえっては考える、を繰り返しています。
そのため日頃から臨床心理士や音楽療法士、臨床宗教師などの専門家も交えて話し合いをしています。
それからボランティアさんのチカラも借りて、ふだんの暮らしやこころからのおもてなしにできるだけ近づくようにしたいと思っています。

こういう価値観に共鳴し、一緒にやってみたいと思う人を仲間にお迎えしたい、それが私たちの願いです。

今現在募集しているのは
看護師さんと看護補助者さん。

2021年1月からと4月からのふたつの時期で募集しています。

説明会は11/7(土)と12/19(土)行います。

詳しくは採用のページをご覧いただき、お問い合わせください。

https://sapporominami.com/nurse/careers/
ご応募、お待ちしております。

今日もこのブログ(?)に来ていただきありがとうございます。
たまには看護部長らしいことも。

方法の原理に照らし合わせる

昨年の秋に「方法の原理」ということを学びました。
方法の有効性は目的と状況に応じて決まる、という原理です。
西條剛央先生※1が主催するエッセンシャル・マネジメント・スクール(EMS)で教わったのですが、最近のコロナ対策で私はこのことをしょっちゅう考えるようになりました。

そもそもサージカルマスクというのは「1処置1マスク」であり、患者さんに何か処置をしたり痰の吸引をした際は、その都度廃棄して新しいのを身につけるのが基本でした。感染から患者と医療者の身を守るのが目的で、それ以上でも以下でもありません。マスクは一枚3円くらいで、以前は処置をするときのみ装着していました。

2月には目的は変わりませんが状況が変わり始めていました。職員は全員マスクをつける必要が生じたのにマスクが入ってこない、という状況です。その頃は「4月くらいには納入再開するんじゃないか」と考えていました。
それで一人一日一枚に制限して使うことにしました。
現場ナースは「え~?一日一枚なんて汚い~」と悲鳴を上げていました。

4月に入っても依然としてマスクは入ってきません。さらに状況を鑑み「一人10枚を1か月間自己管理」「患者さんと直接かかわらない部署の職員は布マスク」という方法に変えました。マスクの内側に不織紙ガーゼを当て、使用後はマスクを中性洗剤で押し洗いし、次亜塩素酸ナトリウムを薄めたもので消毒して干す、という工程を各自にお願いしました。しかし本来そのような使い方を想定しているものではありません。マスクは傷むし、肝心のウイルスから守る機能が損なわれないかは疑問です。

その後マスクは洗わなくても72時間たてばウイルスは消える、紙袋に保管すれば3時間で大丈夫、など諸説出てきました。
真偽のほどはまだわかりません。
インターネットで見ると4月18日現在一枚100円前後で取引されています。
とても使い捨てできる金額ではありませんね。

目的は同じでも、状況は日々刻々と変わっていきます。
それによって有効な方法を変化させていくしかありません。
コロナ対策は毎日毎日が新たな試練との直面です。ときには直感で動かなければならないこともあるでしょう。
その場合も後から方法の原理を思い起こして目的・状況・方法と順に考えていくと、頭の整理に役立ちます。

そんな中、こんなはがきをいただきました。
私の勉強仲間であり、笑い文字の先生からのものです。
「みんなのためにありがとう!無理せず気をつけて」というメッセージが書かれていました。
これは医療者みんなに向けたものとして受け取りました。
誰かが誰かを思いやる、そうした気遣い・愛情が今の時代にとても大切なことと思います。
状況がどんどん悪くなっても、人を元気づけるという目的のもと、こうしたはがきがどれだけうれしいことか。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
悪いことばかりでもありません。

※1 西條剛央先生と方法の原理について詳しくお知りになりたい方はこちらの記事をご覧ください。https://www.1101.com/funbaro/2011-06-17.html

試される日々

コロナウイルスという未知なるもののために、当院でも毎週臨時の会議をしています。
2020年3月、全国で一番感染者の多い北海道。
いつどこで出会うかわからないというのは、人の行動だけではなく心も委縮させるものです。

今、私たちが一番守らなければいけないのは患者さんと職員です。
先日、今しばらくの間ご家族の面会を控えていただけるように、苦渋のお願いをしました。
ご家族の存在が患者さんにとっては生きる力であるし、ご家族にとっても面会することが自分の日々の役割と感じておられる。

自分の家族だったらどう思うかな、洗濯物を持ってきたときに一目会いたいと思うだろうな。
そういう思いを理解しつつ、師長や看護師がご家族おひとりおひとりにご相談させていただきました。

ご家族に会えないことで気持ちがしぼんでしまわないように。
患者さんに会えないことでご家族の不安が増幅しないように。
つなぐ役割を、看護者が担っています。

そして患者さんと一番接触する職員の身も守る必要があります。
それでなくとも多少の発熱なら働いてしまう医療者の傾向がありますので、出勤前に熱を測ることを当面のルールとしました。

渦中にいるときに今できることは、正しい情報を共有すること、対立せず一番いい方法を話し合えること、みんなに周知すること、リーダーシップ、スピード。
私はじっくり考えたいタイプなので、いろいろ試されているなと感じます。
日々現場で働いてくれている職員や、会議で意見を言ってくれる頼もしい師長たちには本当に頭が下がります。
みんなで「今」を乗り越えていくしかありません。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
数年後か数十年後か、未来の人が2020年のパンデミックを振り返ったとき
「昔はそんなことしてたんだね。面会なんて禁止しなくてもよかったのに」と言えるようになってるかな。

花はいつもと変わらず咲いています

マスク今昔

週末にイオンで買い物をしてきました。
お客さんの人出は普段の半分以下、マスク装着率はざっと見たところ9割というところでした。

当院でもマスクなどの感染予防グッズについては、日々残量を気にしながら仕事をしています。
先日私の師匠と「まさかこんなにマスクのことで困るとは思わなかったよね」と話題になり、そこから記憶が喚起されたので一看護師目線の感染対策の歴史について、書いてみたいと思います。
年数は勘違いしているかもしれませんがご容赦を。

私は1980年代後半に看護師に(というと年齢がわかってしまいますが)なりました。
そのころはマスクと言えば手術室の人がするもので、頑丈な木綿製、使い捨ての手袋は医師以外は使ってはだめ、という時代でした。

病棟に勤めていた私にとって、記憶にあるのは何といってもガラスの注射器です。
カストという金属容器から「鉗子」という器具を使って、素早く慎重に取り出しました。
カストの蓋を長く開けていると不潔になるので、もたもたしていると怒られたものです。
当時は感染症といえば、この注射器で抗菌薬を溶かして生理食塩水の点滴に詰め、それを週単位で数種類使っていました。

その後MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)という感染症が問題となり、病室を隔離しマスクにガウンを身につけてシーツは別に消毒対応するようになりました。
それらは限られた特定の時だけ使うのであって「無駄にしないで大事に使いなさい」という暗黙のルールのようなものがありました。
抗生物質の多用が原因だと知ったのは後のことです。

保育園児用にボランティアさんが作ってくれたマスク

1996年の診療報酬制度改定で院内感染対策加算が付くようになり、委員会が開かれ各病室に速乾式手指消毒剤が設置されるようになりました。
同じころ日本看護協会では感染管理認定看護師コースの研修が始まり、2年ごとの診療報酬改定で体制が強化され、病院は感染管理対策を行うのが当たり前になっていきました。
私が当時働いていた病院では2002年ごろから採血時に使い捨ての手袋を使うようになり、指先の触感がより素手に近いものを求めて、ゴム手袋の品質がどんどん向上していきました。

2008年頃、感染管理認定看護師が専従で配置されるようになってから、病院内がみるみる整備されていきました。
看護師が患者さんのところで何か処置やケアをする際にはマスク・手袋・エプロンを身につけることが標準予防策となりましたが、始まったころはまだまだ「もったいない」とか「面倒だ」という意識の方が強くて今ほど厳密にしておらず、使い捨てることへの抵抗感のようなものがありました。

ですから日常的にマスクを使い捨てするようになったのはこの10年余りということになります。
患者さんへ感染症を移さないのはもちろんのこと、自分たちの身の安全も守るという意識が少しずつ醸成されていったのです。
いまやマスクやエプロンなどを身につけていないと無防備に感じますから、意識改革とともに日本の感染管理は進化してきました。

その反面、これまでの大量生産大量消費について考えさせられてしまいます。
輸入に頼っていると、こんな風にいともあっさりと流通がストップしてしまうことを、私たちは改めて知りました。
コロナ騒動の後には価値観の変化とともに、機能とコストを兼ね備えた進化系マスクや空調システムが開発されるのではないかと期待しています。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
他にもいろいろ見直す機会かも知れませんね。

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