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2019年1月

そのケアが本当によかったのかどうか

1月19日の土曜日、低気圧が去り札幌はいいお天気に恵まれました。
その日、北海道内のグループ病院と老健施設が集まって、看護介護研究発表会が開かれました。

当院からはホスピス病棟看護師のKさんが発表者として舞台に立ちました。
彼女は以前のブログにもちょっと登場したことがあります。↓
https://wp.me/p84aZK-4q

当院総長の前野先生は「僕たちはがんにかかったわけでもなく、ましてやがんの末期の経験はまだしていない。医療で助けることは、どこかで限界がくる。その時には寄り添うことしかできない。この方法でよかったかどうかは、患者さんに教えてもらうしかない。でも患者さんは亡くなってしまうから、問い続けて経験を積み重ねていくしかないんだ。」とよく職員に言います。

Kナースは自分がプライマリナースとして受け持った患者さんAさんについて事例研究を発表しました。受け持っている間、彼女はAさんの望む医療について、ジレンマを感じながらケアしていました。カンファレンスで話し合い、一人で抱えるのではなくみんなで共有しながら。そのケアの過程がAさんにとって、よかったのかどうかを検証したい、という思いがあって今回の発表につながりました。

Kナースはこの事例研究を昨年夏、院内でまず発表し、秋には「日本死の臨床研究会」でポスター発表、そして今回の発表会が3回目となり、今回が一番ギャラリーが多くておそらくとても緊張したと思います。
私は彼女の発表の声だけを聴き、その説得力ある声の強さにぐっときてしまいました。
ポスター発表という形式のため、聴衆の皆さんにステージ近くに移動してもらって聞いていただきましたが、Kさんの熱い思いは伝わったように感じました。

発表を終えて会場を出たときに病棟師長さんが「きっとAさん、会場の上から見てKさんのことを応援していたと思うよ」と言いました。
にこにこしながら「いいね!」ポーズをするAさんの姿が目に浮かんできました。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
悩みながら体を通った言葉は心に届くね。

医療者と患者・家族をつなぐ人

連休の3日間、私は東京でNPO法人架け橋の医療対話推進者の研修に参加してきました。
架け橋理事長の豊田さんとは前職の時に一度、札幌でこの研修を開催したときにお会いしていましたが、研修受講は初めてのことでした。

豊田さんをはじめ、このNPOの活動を運営している方々の中には医療事故で大切なご家族を亡くされた人、医療事故を起こしてしまった当事者の方がいらっしゃって、「もう二度とこのような不幸な事故があってはならない」という切実な思いから、医療対話推進者を養成する講座を続けていらっしゃいます。
事故の詳細を語る講義を聴いていると、ほんの少しのかけ違いがきっかけで自分にも起こりうるかもしれない、という気持ちで胸がざわざわしました。

医療事故で5歳の息子さんを亡くされた豊田さんは、なぜこうなったのか、怒りと悲しみと自己嫌悪の渦の中にいました。そしてそういう人だからこそ医療者と患者・家族との間をつなぐ人になってほしいという当時の院長の勧めがあって、医療対話推進者の先駆けとなり、今に続いています。
そこに至るまでの様々な葛藤は想像することもできません。
豊田さんは長い年月をかけて「医療者も苦しんでいる」と理解し医療者と患者・家族双方に寄り添う活動をされています。

講義の中で印象に残ったのは、インフォームド・コンセントはよく「説明と同意」と訳されることが多く、一般的には病気についての説明・治療法・副作用・今後の予測などを医師が説明して患者が理解して治療計画書にサインしてもらう、という風に理解されています。しかしそれでは説明した=理解してなくても同意せざるをえなかったというシチュエーションも含まれるのです。
治療のメリット・デメリット、自院で行っている治療の最善はこれで、ほかの治療ならこんな方法がある、私があなただったらこの方法がいいと思う、どれにしますか?と尋ねて、患者が自らの価値観に基づいて遠慮なく質問し、治療を選択する。
こうして医療者と患者が「情報と決断の共有」をすることがインフォームド・コンセントであり、そうして決断したことを両者で小川を渡る感覚で進むのだ、と聞いてその言葉が腑に落ちました。

がんにたとえれば、がんと診断されて手術か・放射線か・抗がん剤かという治療方法についての選択肢が十分に説明されて、その中から今最善と思われる方向を患者さんが納得して選択し、よし、じゃあ一緒に頑張りましょう、と手をつないで一緒に小川を渡り前進する。
それからも行く道には様々な不具合が生じるけれども、そのたびに話し合って、また小川を一緒に渡る、そんなイメージが浮かびました。

翻って現場に置き換えると、特に急性期の大きな病院ほどその対話に時間をかけられずにいます。患者さんが疑問に感じても遠慮して言い出せなかったりするうちに、治療スケジュールの中に組み込まれて心が追い付かないまま進んでしまう。
看護師やほかの職種がそのとまどいをキャッチして「ちょっと待った!」「今困っていらっしゃいますか?」と言えるようでありたいし、その意見が尊重されるような職場風土であってほしいと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
誰もが聴ける人に。

NPO法人架け橋のHPはこちら↓

http://www.kakehashi-npo.com/

業務改善発表に行ってきます(^^)/

新年早々、うれしいニュースがありました。
内輪話で恐縮なのですが、昨年病棟で取り組んだ業務改善活動が優れているということで、法人の全国大会で発表するように、というお知らせが届きました。
全国にはグループ病院が70以上あり、各病院から一題ずつの業務改善報告が提出されました。
そこから法人本部で審査されて10演題に絞られ、当院のものが選ばれたのです。

取り組んだのは感染性ゴミの減量化です。
病院ではゴミの分別は大きく3つにわかれます。一つは紙などの可燃ゴミ、二つめは医療性のゴミ、たとえば注射薬を詰めるだけに使用した注射器とかアルコール綿など病院からしか出ないようなゴミ、そして三つめが血液や体液がついた医療性で感染の可能性のあるゴミです。
この3つめのゴミを感染性廃棄物といって、普通の可燃ゴミなどとは明確に分ける必要があるのです。容器も厚手の専用プラスチック容器で、専用シールが貼られています。ゴミ処理業者に出すときには蓋を閉めて中身がこぼれたりしないようにして出します。処理料金は一個あたり1000円以上かかります。

ゴミの分別には明確な決まりがありますが、忙しさに紛れてついふつうのゴミをポイっと感染性廃棄物の箱に入れてしまったり、ビニール袋に空気が入ったまま捨てたりすると、それだけで容器の嵩が増して、空気を捨てていることが結構あるのです。

これをもっとキチンとしようじゃないかと立ち上がったスタッフがいたのです。

まず現状を知ってもらうためにデータを取り、間違ったゴミは何かを明らかにし、写真を撮ってみんなに啓蒙しました。ビニールに入ったゴミは空気を抜いてコンパクトにまとめる作業を繰り返して、結果的にゴミはそれまでの半分に減りました。
金額にすると年間30万のコスト削減です。
その経過をまとめたものを院内で発表したところ、よい評価だったので、全国大会に提出することになりました。

ものすごくうれしく、誇らしい気持ちです。
関わった代表者3名と共に来月全国の発表会に出てまいります。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
こいつぁ春から縁起がいいわ????

2029年からの手紙

2019年札幌南徳洲会病院の新病院建設会議に参加されている皆さんへ

2029年1月5日の今日、私はカナダのイエローナイフというところに来ています。
雄大な自然の中のログハウスで、おいしいコーヒーをいただきながらこれを書いています。
私は昨年退職して海を渡り、昼間は食堂で働いて、夜はオーロラを眺める、夢のような生活をしています。
あの頃皆さんと一緒に新病院の建設を議論していたことを懐かしく思い出します。

あれから10年が経ち、四十坊院長の頭はすっかりロマンスグレーになりました。
相変わらず日ハムを応援するのを楽しみにしながら、今日も外来診察に出ています。
40名弱だったボランティアさんは今や200名を超え、職員より多いくらいです。

そのおかげで朝早くから夜遅くまで、あちらこちらでボランティアさんが見かけられます。連日のように音楽イベントが開かれ、朗読や傾聴、マッサージをしてくださっています。
1階の空間で、カフェを始めた元ボランティア・コーディネーターの鈴木さんが、おいしいコーヒーを淹れて、話術で笑わせてくれるので、お客さんがひっきりなしです。診察を受けに来た人もカフェにきたのかと勘違いするくらい、待ち時間を心地いい時間にしてくれています。
外にはアイスキャンドルが何十個も連なり、美しい光景が評判となって病院なのに見物客が増えました。
春からは菜園と果樹園の準備が始まります。桜の植樹も8回目となり、小さいけれど今年は桜並木の下でお茶会ができそうです。

あの頃はホスピスに研修生がよく来てくれてましたよね。
今は全国から院内のあらゆる部署に研修生が来てくださるようになりました。
外来も透析室も障がい者病棟も、よいケアを実践し続けてくれたからですね。
「入院するならこの病院」でトップテンに選ばれたのも皆さんのおかげです。
2018年に始めた緩和ケアセミナーやNPOホスピスのこころ研究所の活動が世に広まり、人生の最後の時をどう過ごすかを考える場として、私たちのケアを見に来る方が増えたのです。ありがたいことです。

前野総長は全国各地からお声がかかり、執筆や講演活動で忙しくなりましたが、楽しそうにしていますよ。下澤事務長は総長のスケジュール管理が結構大変そうですが、シュヴァービングの森をジョギングし、昆虫と戯れるのが癒しになっているようです。

今年は古民家を改修して、ホームケアクリニック札幌・藤原院長の念願だったホームホスピス「かあさんの家」を始めることになりました。病院ではなく、自宅でもなく、一人暮らしの方も安心して過ごし、穏やかな環境で旅立つことができる、そんな場所がいよいよ完成します。

今思うとあの頃、新しい病院についてみんなで話し合うのが一番楽しかったと思います。
そして前野先生がよくおっしゃってたように、その話し合ったプロセスがとても大事だったなって思います。建物が新しくなっても、そこに働く人の心が大事だから。
仲間を信じ、いつも目の前の患者さんにいいケアをしようと努力する、その小さな積み重ねが今につながっているのです。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
新年初出勤前日の夜、こんな妄想が膨らみ眠れなくなりました。