札幌南徳洲会病院 看護部

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2018年2月

今までのケアでいいのかな・・? 認知症ケア事例検討会開催!

先日院内で「認知症ケア事例検討会」が行われました。
院内全体では初の試み。企画者も手探りで準備し、当日を迎えました。
事前に病棟・外来・ケアマネージャーがそれぞれ「この対応でいいのだろうか?」と悩んでいた事例を整理してスライドを持ち寄りました。

当院「ふくじゅそう外来」(認知症外来)の担当医である田村先生が司会進行をしてくださり、ミニレクチャーを交えながら会は進みました。
事例の概要を発表した後、3つのグループに分かれました。
参加者は自分の興味のあるテーマの方へ座り、膝を突き合わせて互いの話に耳を傾けます。
看護師・ソーシャルワーカー・介護福祉士・ケアマネージャーらがそれぞれの立場から事例発表者への質問を投げかけて、一緒に考え、時間は短いながらも密度の濃い話し合いになりました。

認知症ケアには、共通する温かい対応を基本としながら、その人個人に対する個別の対応が求められます。
何が心地よかったか、何をしていたら笑顔になったのか、誰がどう対応したらきちんと薬が飲めたのか、ご家族の心がどうやったら安定するのか、うまく行ったことを共有して積み上げていくのが遠くて近い道です。
具体性は人によって違うため、自分たちで見つけて共有していくしかないのです。

話し合いを終えて「いままでやっていたケアでは十分ではないのでは?と感じて今日とりあげましたが、皆さんの話を聴いて、今のまま続けて行っていいんだと思うようになりました。」
と明るい笑顔で話した一人の発表者。
いろんな角度から意見をもらって、最後は肯定感で終わることができて良かったなあと思います。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
初めての試みって緊張するね。

水俣を歩く

わけあって熊本に行く用事ができ、思いがけず一日フリーな時間が出来ました。
さて、どう行動しようかなと思ってスマホで検索をしかけたら、ニュースで「苦海浄土」の作者・石牟礼道子さんの訃報を知りました。
それで、熊本から水俣はどれくらいの距離だろうと調べると、JRで約1時間半くらいとわかったので、すぐに出かけることにしました。
10年程前に札幌で「水俣病展」があったのをきっかけに、病気の原因を追究した熊本大学の原田教授や写真家のユージン・スミスさん、桑原史成さんのことを知り、興味を持っていたのですが、すっかり忘れていました。

時代は1950年代の高度成長期。
水俣病とは、チッソという会社が、化学製品の原料を製造する過程で出るメチル水銀を海に流したことから、海が汚染され、そこで採れた魚介を食べた住民が中枢神経・感覚器を障害され、全身をけいれんさせながら亡くなっていくという公害病です。
治療法のない奇病・伝染病と言われて差別に会い、父親が病気にかかると仕事を失い、生活も困窮しました。
妊婦が知らずに食べていると胎盤を通じて胎児に吸収され、胎児性の水俣病となりました。
当時は同じ町内に、漁民とチッソに勤める会社員が暮らしており、会社員は羨望の存在だったそうです。
けれども徐々に会社が流している廃液が問題じゃないかと噂され、漁民が海を守るために反対運動を起こすと、会社員の家族がそれを阻止しようとして争いごとになりました。
同じ市民が対立する中、市の税収の半分は会社のおかげで潤っているという構図。
経済優先の日本社会の縮図がここにありました。
その後、国と県と会社を相手にした裁判が繰り返され、いまだに続いています。

私が忘れられないのは桑原史成さんの写真で、胎児性患者の上村智子さんが成人を迎えた時の家族写真でした。
智子さんは赤い着物を着てにっこり笑ったお父さんに抱きかかえられていました。家族や親せきがみんな笑顔で、智子さんを覗き込むように、幸せな表情をして映っている写真でした。
お母さんは「智子は宝子だ」とおっしゃいました。この子が私が食べた水銀毒を一人で吸ってくれたから、自分や弟妹も助かった。智子さんは皆の命の恩人だ、と。だから家族の中で大切にされ、暮らしたのだろうと思います。
病気や裁判の痛々しい写真の中にあって、そこだけ光り輝く温かさを放っていました。
背景にどれほどの苦悩苦痛があったのか、想像もできません。

水俣病資料館は汚染された海を埋め立てたところに建っていました。
サッカー場やバラ園、道の駅もあり、犬の散歩をする人や観光客らしきグループがいました。
水俣の海は2009年に安全宣言が出され、漁が再開されたそうです。
水俣病の公式確認から実に56年ぶりのことでした。

今日もこのブログにきていただきありがとうございます。
以前は読み終わらなかった「苦海浄土」に再チャレンジしようと思います。

人生100年を考える

「4 0 ~ 5 0代の人は 、働きはじめたとき 、 6 0代で引退するつもりだっただろう 。しかし 、あなたの職業人生は 、少なくともあと 2 5年続く可能性が高い 。しかも 、これから訪れようとしているのは 、スキルの価値が瞬く間に変わる時代だ 。そういう時代には 、手持ちのスキルでよしとせず 、新しいスキルの習得に力を注がなくてはならない 。」(序文より引用)

「Life shift 100年時代の人生戦略」をようやく読み終えました。
この本はいろんな切り口から誰かと話したくなる本です。

かつて私の上司は、定年を機にすっぱりと職を離れました。
ずっと働きづめでしたので、それまで出来なかったことに精を出し、自由を謳歌して過ごされていました。
社会とのつながりを保ちつつ、会社人生との区切りをハッキリさせた生き方は私の憧れでした。

上司の引退からすでに10年ほど経ちました。日本は健康寿命が伸びて、引退後の時間が長くなりました。
有能で、まだまだ元気に働ける人が定年というルールによって第一線を退かなければならないというのは勿体ないことです。
そして引退後に年金だけで暮らしが成り立つかどうかもわかりません。
どれだけ貯金が必要かもわかりませんし、貯まった額でこれからの老いと病気に対処していけるのか、身の処しかたには心構えがいるものです。

この本によると、人生は100年で考える時代になりました。
教育・仕事・引退後という従来の人生3クールのパターンから、引退後も働く4クール、途中で学び直す5クールへと多様化しています。
生きるために必死だった時代を過ぎ、今は思春期の時期が長くなっていて、所謂「成人」と呼ぶにふさわしい年齢は30才位に延びています。
長い仕事人生にさらにスキルアップの期間を持ち、定年後の次のステージをもっと専門的か、あるいは別な仕事で変身するために備えておく必要があると書かれています。
ピーター・ドラッカーも同じ話をしていますが、より具体的で現実に迫っており、既存の概念を変えようと明言しています。

看護師の場合、仕事の方向性によって認定看護師や専門看護師に進む時には、一定期間職を休んで大学などへ行くことがあります。
そのような時の生活や給与の保障制度はなく、所属する組織が個別に判断する状態です。
半年間の認定看護師課程に進むために、仕事を辞めざるを得ず、貯金を300万はたいて資格を取った人を知っています。
彼女はその後別な病院に就職し、取った資格を活かして大活躍しています。
元所属していた病院にとってはこれは大きな損失ですね。

暴論かもしれませんが、私は看護師たちが皆興味のある何らかの認定資格を取ればいいと思っています。
診療報酬が、とか専従で、とかに関わらず何らかの専門分野を極めた人が普通に配置されていて、現場のケアをよくするために活躍していたら、それだけでも患者さんにとっては大きな福音だと思うのです。
誰でも、学びたい時に公平に学ぶことが出来て、その間の職場も人が補充され、給与も保障される。
学び終えたら安心して元の場所に戻ることが出来るような、組織を超えた公的な仕組みがあるといいのになあ・・と思います。

今日もこのブログにきていただき、ありがとうございます。
やるべきことがやりたいことになればシアワセ。

カンフォータブルケアのその後

こんにちは。札幌南徳洲会病院の工藤です。
昨年から私たちの病院では認知症高齢者への「カンフォータブルケア」を取り入れることにしました。(その経緯はこちら↓)

認知症対応カンフォタブル・ケアに取り組みます

南さんの講義に感銘を受けた私たちは、師長たち6名で南さんの職場を実際に見学させていただきました。そこで朝と夕方のミーティングにカンフォータブルケアの秘訣があるということを知りました。

朝礼では今日患者さんに話しかけるコトバを一人のスタッフが発表します。
「今日はすっきりしたお天気ですね」というようなコトバを。
明るいフレーズを意識的に考えるそうです。
そのコトバを他のスタッフも復唱します。
そして二人ペアになって、笑顔の確認をするのです。

笑顔とコトバ。
この二つを明るくポジティブなものにして、働く側の姿勢を形作ってから患者さんのところへ飛び出て行きます。

患者さんの元へ行ったスタッフはそれぞれが「今日はすっきりしたお天気ですね」と声をかけます。認知症の患者さんはそのコトバを聞き、「ああ、今日はすっきりしたお天気なんだ」と思うでしょう。そこにいる方皆が同じコトバを聞き、忘れ、また別の人から聞く。声をかける人は笑顔。この繰り返しがすばらしいと感じました。

終礼では、「今日のいいこと」を発表し合います。
「今日は○○さんが昭和歌謡を歌って笑顔を見せてくれた」
「今日は△△さんがいつもより食欲があってうれしかった」
というようなことを。
これは「嫌な気持ちを(家に)持って帰らない」で、「忙しかったけどよくがんばった」という肯定的な気持ちで仕事を終えることが大事なんだと南さんは言いました。
「ああ、疲れた」とつぶやくと、聞いている周りの人も「ほんと疲れた」とテンションが下がるのです。

だから否定的な言葉ではなく、みんなよくやったね、そうだね、と互いをたたえ合って終わりにする。

これはすごくいい!

そこで私たちもこの朝礼と終礼を取り入れることにしました。
特に終礼では「今日良かったことを発表する」というのが定着してきました。
「今日はころびそうな人がたくさんいる中、誰ひとり転ばなかった。みんな頑張ったね」
「今日はひとり欠員がいたけど、みんなで協力してちゃんと終わったことに感謝します」

時には旅立たれた方のことを想い、しんみりと語り合うこともあります。

「今日のいいこと」は当番ではありません。
誰が当たるかわからないので、スタッフは心の中で今日のいいことを探しています。
「あ、今日はこれ言おう!」とネタを見つけた人はそのことを発表するのを実は意識して終礼を迎えるのです。

よいコトバを意識して発することが習慣になると、行動も変わる。

今日もこのブログに来ていただきありがとうございます。
私はワクワクしながら、そこのところに注目しています。