札幌南徳洲会病院 are GO!

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12月になりました。何も変わらず、いつものように日付が変わり朝日が東から昇ってきました。札幌はもう
すっかり根雪になりましたね。

12月1日は、札幌南徳洲会病院の最初の日となりました。朝礼にはたくさんの人が集まり、所属長にはそれぞれ
辞令が交付されました。仕事の内容は何も変わりませんが、医療法人徳洲会に入った証となりました。
朝礼の最後に理念の唱和をしましたが、かんでしましました。(-_-) 札幌南徳洲会病院(さっぽろみなみ
とくしゅうかいびょういん)とは言えましたが、その後の内容を失敗しました。あー、恥ずかしい。

病院の看板や標示物が札幌南徳洲会病院になっていました。あれっと?思うぐらいあっという間に変わって
いました。
関係職員の頑張りです。胸につける名札も変わりました。何か新鮮な気持ちになりました。

(看板は2010年12月の私のブログを見ると古いのが見れます)

11月30日のブログと何が違うのかという気もしますが、新しい気持ちでこの病院と関わっていきたいと
思いました。
再来年4月30日をもって平成が終わることが決まったようです。我々の病院も新しい時代に向けて、前へ進んで
いきたいと思います。

札幌南青洲病院とのお別れ

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運命の日がやってきました。まさかこんな日が来るなんてこれっぽっちも思っていませんでした。
明日から何かが変わるという訳ではありませんが、一つのステップが終わるんですね。

平成8年から徳洲会グループ入りし、5月1日に『札幌医療生活協同組合 札幌南青洲病院』と病院名を変更し
ました。そのころ、前野宏先生も私も徳洲会にはいませんでした。ですから、札幌南青洲病院の発足時の
苦労話などは人に聞いたぐらいで、現在も当院に在籍している人はかなり少ないのです。
徳洲会グループ入りしても、経営的には苦戦が続き、札幌徳洲会病院からの応援が来たりしていたようです。
院長も毎年替わるような時期がしばらく続きました。

平成13年4月に前野宏先生が外部から招かれ院長に就任。以前、札幌徳洲会病院に勤めていたことはありました
が、長らく徳洲会からは離れていました。彼が持った夢は、札幌南青洲病院にホスピスを作ること。彼の夢に
賛同する人たちが集まり、病院は少しずつ変わっていき、また徳洲会グループの前理事長である徳田虎雄
先生からもホスピス開設への後押しがあり、平成15年11月に徳洲会グループ初の緩和ケア病棟(ホスピス)
を開設することが出来ました。
その後は、徳洲会グループからの経営的なアドバイスや職員達の頑張りもあり、徐々に経営は改善。黒字化
することが出来るようになり、少しずつ貯金も出来るようになりました。
私は平成20年4月に札幌徳洲会病院から異動する形で赴任してきました。その後、平成22年6月からは院長を
拝命し現在に至っております。
院長としてこの7年間の歩みは色々とありました。すべてを書いているわけではありませんが、院長ブログにも
その時々の気持ちなどが書いてありますね。
働いてくれたスタッフ、医師、看護師、ソーシャルワーカー等々、思い出せばきりがありませんね。

院長室から見える景色は変わりませんが、ゆっくりと時代は前に進んでいるのだなあと感じます。

今朝は札幌南青洲病院として、最後の朝礼でした。感慨深いものがありました。
さあ、明日から札幌南徳洲会病院。

これからもよろしくお願いいたします。

病院名変更のお知らせ

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みなさん、こんにちは。今日は、みなさんにお知らせしなければいけないことがあります。
それは、12月1日より病院名が変更になります。

平成8年より当院は徳洲会グループ入りし、『札幌医療生活協同組合 札幌南青洲病院』として出発しました。
それから足かけ20年以上地域のみなさんにホスピスのこころを大切にする病院という理念を掲げ医療を
提供してきました。当初は経営的には苦戦した時期もありましたが、徐々に地域の方々に支えられ病院が
発展していきました。14年前には札幌では4番目の緩和ケア病棟(ホスピス)を開設し、これまで
2000名以上の方が入院されたことは、我々も誇りに思っていることであります。

当院はすでに築30年以上経過し、建物老朽化はかなり進んでおります。私が7年前に院長になってからは
病院の新築移転は一つの夢、目標として掲げておりました。そういう経過の中、数年前には平岡に新しい
土地を購入し、新築移転の夢を実現すべく少しづつ前に進んでおりました。

この春からは、新築移転などの大きな事業はやはり徳洲会グループとしてバックアップしてもらうことが
大事であるという判断に至りました。それに伴い、札幌医療生活協同組合を解散し、いままの事業をそのまま
医療法人徳洲会に譲渡することを決めました。事業譲渡に伴い、新しい病院名に変更する必要があり、今回
『札幌南徳洲会病院(さっぽろみなみとくしゅうかいびょういん)』という名前に決まりました。

札幌南青洲病院は11月30日をもって終了。12月1日からは新病院名となりますが、病院の姿もスタッフ
も何も変わらないことをお伝えします。名称が変わるだけで、診療の中身はこれまでとまったく変わりません。
安心して下さい。(”とにかく明るい安村”ではありませんが。)経営的にも安定した状態で名前が変わるのみです。

それに伴い、病院の表示があちこちで変わる予定です。病院の看板、車のサイン、病院のホームページ、
Facebookなどなど。しばらく混乱するかもしれませんが、ご了承いただければ幸いです。

新しい病院名になってからも、これまでと変わらぬみなさんのご支援をお願いします。

みなさん、こんにちは。週末に一気に雪がやってきましたね。今年は11月一杯まで自転車通勤を続けるぞ!
なんて心では思っていましたが、寒さは我慢できますが雪には勝てません。今週からはもう自転車通勤
は無理です。来年の春まで自転車よ、さようならですね。このブログをたどると、去年はいつまで自転車
通勤ができたかなと調べてみたら11月21日が最後でした。ほとんど同じでしたね。

さて、ブログを続けるのは大変だなあ、と少し負担になったりすることも多いのですが、このところ工藤
看護部長から刺激を受け、私もブログ更新を続けています。工藤部長のやさしさビタミンブログとは違い、
私は個人的なことばかり書いている気がしますが。さて今回もファイターズ通信番外編として書こうと思います。

今回は、少し自慢話になっていることをまずお断りします。 m(_ _)m

この週末に北海道日本ハムファイターズの元コーチである白井一幸さんのトークライブが札幌のホテルで
開催されました。毎年開催されていたようですが、昨年から白井さんのブログを読むようになり、例年野球
シーズンが終わったところで、全国でトークライブを開催しているようでした。
実は、昨年もブログにトークライブの案内があったときに、是非行ってみたいなあと思っていて、ほんの
少し躊躇していたら、満席になったようでトークライブも申し込みが終わってしまっていました。ちょっと
残念に思っていました。
今年は、ご存じのようにファイターズの成績は散々な状況でシーズンが終わり、そして白井さんもコーチの
退団をシーズン終了前に公表しました。もっとコーチを続けてほしいと思いましたが、それはやはり球団の
方針であり、仕方がないと思っていました。白井さんもブログで新しいことに挑戦すると言っていました。
そして、連日ブログをチェックしていたところ、今年もまたトークライブを開催しますと案内が!
さあ、今年こそは行くぞと思ったら、何と当直が当たっているではありませんか!!! う~ん、今年も
無理かと思いましたが、やはりここは是非行ってみたいという気持ちが勝り、病院の当直変更をお願いして、
快く替わってもらいました。
そして、トークライブの申し込みのメールを送り無事出席票がメールで送られて来て、後は当日を待つだけ
でした。

待ちに待った日曜日は、札幌の人はご存じのように朝から雪。一晩で一気に雪が積もりました。朝から雪
かきもこなし、午前中には家を出発しました。お昼は外でランチを食べ、いざトークライブの会場へ。
14時から開場とあったので、14時前には到着したのですが、すでに前の方の席はすべて埋まっていたので
前から4列目を2席確保し、開始を待ちました。受付で出席票を渡し、抽選会の番号を2枚もらいました。

14時30分までわくわくして待っていました。会場の周りの人はほとんど知らない人ばかりでしたが、まるで
札幌ドームにいるような感覚で何か一体感を感じました。
14時30分になると、いよいよ白井さんが登場。壇上で進行アシスタントの石川さんという人と二人での対談が
始まりました。石川さんが話を振り、それに応じて白井さんが答えたり、それにまつわる色々なエピソード
を話してくれたりととっても楽しいお話でした。
シーズン終了前に退団を公表したのは、是非札幌ドームに来てくれるファンの人にお礼を言いたかったからだ
そうです。何試合かを残していたのですが、札幌ドームの最終戦(10月4日)にきちんとお礼ができて良かっ
たと言っていました。何より嬉しかったのが、セレモニー終了後にチームのみんなに胴上げをしてもらった
ことだそうです。全部で12回胴上げされたそうですが、前半は胴上げ自体が気持ちよかったそうですが、後半は
感極まって涙が止まらなかったそうです。その胴上げの写真が今白井さんのブログに貼り付けてありますね。

あっという間に1時間半は過ぎ、最後はお楽しみ抽選会でした。白井さんがもってきた宝ものを抽選でフロア
の人にプレゼントする企画でした。まあ、こんなことには当たらないのが普通で、淡々と白井さんがクジを
引くのを見ていました。ところが、最初の方にまず白井さんが愛用しているという『玄米酵素』という
サプリメントが3つ出され、順番に番号を読み上げると、「254番」???\(^o^)/ なんと当たった
ではありませんか!!! うわっと思い、番号札をもって前へ。そのサプリメントをもらい、白井さんと
握手してきました。 中田のバットや中島卓の練習バット、大谷君のサイン入りボールではありませんでした
が、それでも当たったからには嬉しかったです。
そして、その後も抽選会が続いたのですが、そのうちに「196番」???\(^o^)/ なんとまた当たった!
今度は白井さんのサイン入り帽子が当たりました。さっきは自分が前に出たので、妻に前に行かせて握手して
帽子をもらってきました。今年の運を全部使った気がしました。

すべての品物をみんなにプレゼントして、トークライブは終了しました。
フロアを出たところで、みんなが白井さんにサインをもらったり、写真を撮ったりしていたので、私も
帽子をかぶってツーショットを撮りました。

以上、とっても楽しいひとときでした。

さる11月3日の文化の日に表題のセミナーが開催されました。場所は札幌徳洲会病院でした。

まず、ここに至るまでの経過と、当日の様子の報告をします。

当院は平成8年より徳洲会グループ入りをし、平成8年5月1日より『札幌医療生活協同組合 札幌南青洲病院』
になりました。最初の数年間も経営的には苦戦をし、関連病院である札幌徳洲会病院から医師の応援をもらい
ながら診療を行っていたようですが、ほぼ毎年のように院長が変わる状況でした。
そこで、平成13年4月に前野宏先生が新しい院長として赴任してきました。彼が行ったことは、徳洲会の理念
の「いのちだけは平等だ」と共に「ホスピスのこころ」を病院の理念に加え、運営を行ったことでした。
それまで、外科や脳外科などがあり、手術もやっていた急性期の病院だったのですが、内科と緩和ケアを
2つの柱として、経営をやっていきました。
その「ホスピスのこころ」を実現する象徴的存在として、平成15年11月に徳洲会グループ初の緩和ケア病棟
を開設しました。当初緩和ケア病棟を開設するにあたり、前野宏先生の熱意を受け入れてくれたのが、当時
徳洲会理事長であった徳田虎雄先生であり、多大な支援をもらいました。

当初、徳洲会グループにおいてはホスピス緩和ケアは関心はあったものの、実践する病院は当院以外には
ありませんでした。全国のグループ病院の方達が何人も見学に来られたり、新病院建設時には緩和ケア病棟
も開設したいという話があちこちから聞こえ、当院の病棟の図面やノウハウなどを教えても、緩和ケア病棟
開設にはつながらず、10年が経過していました。
しかしながら、その後の徳洲会グループにおいても救急医療だけでなく、がん医療も強力に推進する機運が
高まり、それに呼応するように緩和ケアも徐々に必要性が認識されていきました。そういう中で徐々にあち
こちの病院に緩和ケア病棟が開設されていき、自分たちの仲間が増えることにうれしさを感じていました。

何年か前から、前野先生が「そろそろ徳洲会グループでの緩和ケアの集まりをやりたいね。」という話が
持ち上がっていました。他の診療科では、心臓血管外科部会とか、脳神経外科部会や、また消化器グループ
の『Endo Club』なと魅力的な集まりが始まっていることがわかっていました。緩和ケアの集まりをやるに
しても、どこでどういう形がいいのかと模索していました。最初は、日本緩和医療学会や日本死の臨床研究会
などの年次大会に合わせて、徳洲会緩和ケア部会というものをやろうかということも考えましたが、場所や
また会うタイミングなどから、やはり学会期間は難しいなあと思っていました。
昨年、ちょうど札幌で第40回日本死の臨床研究会年次大会が開催され、前野宏先生が大会長で、当院が事務局
だったので、一瞬やってみようかと前野先生と話したのですが、あまりにもスケジュールがタイトなので
止めにしました。

そして、今年。春頃に前野宏先生から、「そろそろ徳洲会グループでの緩和ケアの集まりをやろう。」という
ことになりました。言い出しっぺは私たちですから、当院が事務局。場所は当院では狭すぎるので、札幌
徳洲会病院の部屋をお借りしようということで話が進みました。
前野宏先生が全体の構想を練り、全国の緩和ケア関係の先生方に講演の交渉を行い、あとは当院の事務スタッフ
がフォローするという形で始めました。
集まりの会の名称は徳洲会緩和ケア部会というのも何だし、『徳洲会緩和ケアセミナー』にしようという
ことになりました。
徳洲会は現在全国で71病院。緩和ケア病棟をもっている病院だけでなく、緩和ケアチームもあるので、
どれくらい参加者が集まってくるのか、まったくわかりませんでした。また当院が主催するという都合もあり、
11月3日という休日に開催することになり、全国から集まってきてもらえるのかという不安もありました。
しかし、実際案内状を徳洲会グループの各病院に送らせてもらうと、あちこちの病院からたくさんの参加
申し込みがありました。緩和ケアの集まりですから、もちろん多職種(医師、看護師、薬剤師、理学療法士、
ソーシャルワーカーなど)からの申し込みがあり、最終的には約55名もの参加者が集うことになり、開催側と
しても嬉しい悲鳴でした。

11月3日は朝10時30分から、札幌徳洲会病院の8階講堂カントコトロに全員が集合。当院からの参加者も
含めれば、80名物参加者があつまり、講堂はほぼ一杯になりました。前野宏先生の基調講演から
スタートし、当院のソーシャルワーカーの下倉さんによるMSWの働きについての講演。午後には、徳洲会
グループの各病院からの現状を話してもらいました。(全部で10病院)
前半は緩和ケア病棟をもっている病院、後半は緩和ケアチームが活動している病院。それぞれ、急性期の
治療を行いながら、患者さん・ご家族のために頑張っている様子がヒシヒシと感じられました。

その後、吹田徳洲会病院の馬場美華先生の生命予後のお話、千葉徳洲会病院の伊東理砂先生のスピリチュアル
ケアの実践のお話とためになる講演でした。

最後は、分科会に分かれ、医師、看護師、コ・メディカルと3グループに分けてそれぞれディスカッション
を行い交流を深めました。

閉会式では、前野宏先生がこういう会を徳洲会グループで開催することができ、また仲間との交流ができた
ことを感慨深く話しておりました。この会が今後も続いていくように話されていましたが、どうも来年も
札幌でやりそうです。\(^o^)/
札幌南青洲病院でこのような会を開催できたことも、大きなステップだっと思います。(色々な意味で)

懇親会は、アサヒビール園でジンギスカンを食べ、徳洲会グループでの緩和ケアの普及に頑張っていこう
と誓い合いました。

以上、第1回徳洲会緩和ケアセミナーの報告でした。

11月になりました。10月には突然の初雪でびっくりしましたが、その後は札幌にはまだ本格的な雪が
降らないので自転車通勤を続けています。今年はどれくらい自転車に乗れますかね。

前回のブログファイターズ通信番外編としてコンサドーレ札幌の事を書きましたが、今日は再び野球です。
先週から今週にかけ今年の野球シーズンがとうとう終わりました。

シーズンの最後はアメリカも日本もプロ野球の優勝チームを決める決定戦が行われました。
まずは、アメリカの大リーグから。
今年の大リーグのワールドシリーズ(世界一決定戦)は、ロサンゼルス・ドジャースとヒューストン・
アストロズの戦いになりました。
ドジャースには昨年日本の広島東洋カープから移籍した前田健太選手と7月にテキサス・レンジャーズから
トレードで入団したダルビッシュ有選手がいます。ヒューストン・アストロズには当初青木宣親選手がいた
のですが、7月にトレードに出されてしまい、このワールドシリーズには出ていませんでした。
それでも日本人が二人も出ており、またダルビッシュがドジャースの先発の一人として活躍しているからには
見ないわけにはいきません。連日、大リーグの野球の経過や夜の大リーグニュースから目が離せませんでした。
ご存じのように、ダルビッシュは元日本ハムファイターズの選手でした。2007年、2009年の日本ハムの優勝の
時の中心選手でした。何度も札幌ドームでダルビッシュを見ましたが、すごい球を投げているなあと思いました。
あまりにもダルビッシュの投球がすごくて、日本の他チームの選手達が対戦意欲を無くしてしまったため、
ダルビッシュ自身もさらに高みを目指して大リーグ挑戦を決めたことは野球ファンはご存じですよね。
ダルビッシュは、2012年(平成22年)1月日本ハムファイターズを退団し、大リーグのテキサス・レンジャーズに
入団。その後の活躍はここで述べる必要はないかもしれません。(野球好きの人なら)
ただ、その経過中で右肘の手術で一昨年の1年間は試合にまったく出られず、悔しい思いをしていたのでは
ないかと思います。
そのダルビッシュがようやく活躍していると思っていたら、今年の7月に突然ドジャースへ移籍。そしてドジャース
の一員としてワールドシリーズに登場。私もとっても嬉しかったです。ようやく晴れ舞台にダルビッシュが投げる
ことができるようになったんだと思いました。

しかし、結果はご存じのように第3戦と第7戦の2回登板しましたが、2回とも打たれてしまい途中降板。使った
試合球が滑りやすかったなど色々とあったようですが、はっきり言って実力が出せなかったということです。
新しいことにチャレンジして、うまく行かなかった。ダルビッシュがさらに成長できる場を与えられたワールド
シリーズだったと思いました。
来年以降、さらに成長したダルビッシュを見ることが出来、ワールドシリーズでリベンジすることを期待
しています。

2011年のファイタースの開幕戦のダルビッシュです。体がまだ細いですね。

一方、日本の方では、福岡ソフトバンクホークスと横浜DeNAベイスターズの日本シリーズも面白かった
ですね。ソフトバンクホークスが3連勝したときは、これであっという間に終わるかと思いましたが、
ベイスターズも2勝して巻き返し、第6戦の途中まではいい勝負していると思いました。最後はやはり
経験の差。一つ一つのプレーがソフトバンクホークスはしっかりしていると思いました。我ら北海道
日本ハムファイターズがここにいないのは残念でしかたありませんが、来年こそやってくれると信じて、
野球シーズンを終えます。

来年の3月が待ち遠しいですね。

みなさん、こんにちは。日本シリーズが始まりました。昨年の今頃は、我ら北海道日本ハムファイターズと
広島東洋カープの熱戦を楽しんでいましたが、今年は静かな10月になっています。
先週の大きな出来事は、ドラフト会議で早稲田実業の清宮君を1位指名できたことでしょう。栗山監督の
笑顔は今年一番でしたね。とっても嬉しかったことは間違いないでしょう。何をやってもうまく行かなった
今シーズンでしたが、最後の最後に嬉しいニュースが入ってきました。大谷君が今後どうなるかわかりません
が、来年以降も楽しみなことが増えました。話題に事欠かない日本ハムファイターズですね。

さて、週末は日本ハムファイターズいない札幌ドームに久しぶりに行ってきました。
それは、北海道のプロスポーツ球団の一つである北海道コンサドーレ札幌の試合の観戦でした。
実は、いつもコンサドーレ札幌の試合結果は気にしながらも、なかなか行くチャンスがありませんでした。
Jリーグは週末の試合が多く、自分の都合が合わずに今シーズン終盤まで来たのでした。
しかし、日本ハムファイターズのシーズンが今年は早々に終わり、さみしい10月を過ごしていたのですが、
ちょうどうまい具合に用事のない日曜日にコンサドーレ札幌の試合が開催されるのを聞いて、観戦に行くこと
にしました。子供と一緒にサッカー初観戦。テレビでは見たことがありましたが、初めてのサッカー仕様の
札幌ドームでした。全体を見渡しながら、あそこが本塁ベースあたり、ここは3塁側という感じで見渡しました。
私が今回座ったところは、赤黒サポーターズゾーン・バックという所で、野球ではレフトスタンドの辺りでした。
ちょうどコンサドーレ札幌のサポーターが立って応援するゴール裏の横という感じで、サポーターの大きな声が
届くところでした。

試合は、結果的には負けましたが、途中までいい試合展開で息が抜けない感じでした。野球と違って、前半
45分、後半45分と緊張が続き、途中トイレに行ったり、食べ物を買いに行ったりできないなあと思いました。
(飲んだり、食べたりするのが本来の目的ではないと言われれば、それまでですが。 😀 )

今回は入場者全員に赤いブレスレットが配られ、試合前の赤いLEDの演出がとてもきれいでした。

コンサドーレ札幌はJ1残留がかかっています。頑張って、来年も是非J1残ってほしいですね。

以上、ファイターズ通信番外編でした。いや、コンサドーレ通信でしたかもね。

先週の土曜日、ホスピスの遺族会(ひだまりの会)が開催されました。今年で12回目を数えます。
今年のホスピスの遺族会は平成27年4月から平成29年3月までの2年間で当院のホスピスで亡くなられた
方のご遺族に対して開催しました。9月と10月の2回開催することで、できるだけ多くの方が参加して
いただけるようにしています。
今回の10月は2回目の遺族会で、参加者は5家族7名の方でした。例年の中では少ない参加者でしたが、
全員でテーブルを囲んで丸くなったような形になり、皆さんの顔が見え、また声も十分届く距離で
いい感じとなりました。
ひとり一人に想い出などを語ってもらい、短い時間があっという間過ぎました。

その中で印象に残った言葉が二つありました。

今日のキーワード:
「あんさん」
「お父さん、お見事!」

どちらもご遺族から聞いたお話です。まず1つめは、『あんさん』
当院ホスピスで亡くなられた高齢の男性のお話です。数年前に当院の近くに奥さんと引っ越してきた
そうです。どうも体の具合が悪かったようですが病院にはずっと行かなかったようです。それでもようやく
病院に行って検査を受けたところ、末期の癌とわかったようです。それで、転院手続きをして当院の
ホスピスに移ってきました。痩せてはいましたが、まだ頑張ることが出来たので、ホスピスでの催し
物に参加したりして楽しんでいました。しかし、徐々に状態は悪化し、衰弱していったようです。
いよいよ厳しい状況になったことが、スタッフから奥さんに伝えられ、道外在住の息子さん二人が
駆けつけました。元々口数の少ないお父さんだったようで、あまり辛いとは言わなかったようです。
駆けつけた長男がお見舞いの合間に食事に外出するためにホスピスの部屋から出ようとしたとき、
ご本人から『あんさん』という言葉が出たようです。出身が東北地方の方で『あんさん』というのは、
お兄ちゃんを意味しているそうです。その言葉を聞いた長男さんもビックリして食事に出かけるのを
止めたそうです。
奥さんからの話では、ご本人は息子さん二人に手を握られ、静かに旅立ったとのことです。こんな
最期を迎えられて幸せな夫はいませんとのことでした。

2つめは、『お父さん、お見事!』
この方も男性です。実は私の担当の患者さんでした。がんという病気がわかり、治療するかどうか
迷っているときに私と関わることがあり、治療はせずに緩和ケアを選択して最期までしっかり生きた
方でした。経過中にも色々なエピソードがあり、それも印象深かった方でしたが、ご家族もご本人
を支えていました。この男性と奥さんと長男家族が同居されており、娘さん二人は関東在住という
状況でした。関東在住の娘さん達は交替で両親のお世話に札幌に来ておりました。
徐々に病気が進んでいる中、がんがとうとう脳にまで転移していることがわかり、自宅での療養は
難しいと判断しホスピス病棟に入院しました。比較的穏やかな日々が続きましたが、確実に病状は
悪くなりました。ご家族から最後に自宅に外出させたいという希望があり、亡くなる2日前でしたが、
車で出かけてきました。かなり体に負担にはなったかもしれませんが、ご本人もご家族も家に帰れた
ことに非常に満足していました。
その日からはこちらからの問いかけやご家族の声はわかったようですが、ご本人はほとんど話せ
なくなりました。
そうしていよいよ最期の時が近づく中、妻と娘さん二人が両手を握りながら本人に声をかけていた
そうです。3人でご本人の両腕の橈骨動脈を触りながら、まだ脈があるとか、少し弱くなったとか
話していたとのこと。そして徐々に脈が遅くなっていったのが、娘さんにもわかったようです。
呼吸も弱くなり、脈の間隔が延びて、そして脈が止まったそうです。そうしたら長女さんが、
『お父さん、お見事!』と叫んだそうです。妻は悲しい気持ちより、その言葉に思わず圧倒された
そうです。苦しまず、安らかな最期を妻と娘さんと3人で共有できたことが良かったと言っていました。

一人ひとり違った最期の迎え方があり、そのドラマに一旦を見させていただいた時間でした。

以上、ホスピスの遺族会の報告でした。

札幌の初雪はいつかな?

| その他 |

みなさん、こんにちは。札幌も随分と寒くなってきました。今朝、自転車で出勤していると札幌から見える山並み
が真っ白になっていました。昨日の夜から今朝にかけて降った雨は山では雪だったのでしょう。
手稲山の頂上辺りも白くなっていましたから、いよいよ冬が近づいてきましたね。

札幌の初雪はいつでしょうか。昨年は10月21日でした。例年では10月28日が札幌の初雪観測日だそうです。
あと後10日ですね。冬のタイヤ交換もそろそろやらないといけません。

こんにちは。今回はブログの更新が早いです。まあそれだけ書くことが多いからかもしれません。
昨日、わが北海道日本ハムファイターズの今シーズンの試合が終了しました。
通算成績は60勝83敗。なんとか60勝には到達したようですが、負け越しが23もあります。まあ
良くなかった年ですね。昨年は奇跡の大逆転優勝。10月に入っても野球の話題で盛り上がりました
が、今年は早々にBクラス(4位以下)が確定し、クライマックスシリーズも何もありませんので、
とっても静かな10月になってしまいました。さみしいシーズンオフです。
昨年の今頃はクライマックスシリーズで、福岡ソフトバンクホークスを下し、日本シリーズに進出。
広島カープ相手の連敗を札幌ドームで逆転し、流れを引き戻し見事4連勝で日本一を獲得したことは、
やはり凄い事でしたね。

今年は弱いファイターズで、どうして?どうして?とは思いましたが、何人もの選手が怪我で離脱。
一番痛かったのはやはり大谷君の不在でしたね。それでも、栗山監督が必死に手を打ちながら、
勝利を目指すのですが、何故か悪い方へ悪い方へと流れていったと思います。こんなにうまく行かない
年もあるんですね。本来ならこの成績なら最下位だったと思うのですが、千葉ロッテマリーンズが
さらに負けたため5位ですんだと思います。2012年の優勝、翌年最下位の二の舞いはなりませんでし
たが、成績はそのときより負けているんですよね。

もう優勝できないことがわかった時点から、完全に若手の起用にシフトしていました。その中で
活躍した選手も増えてきました。さらに頑張って次の世代のファイターズが作り上がることを望み
ます。

それにしても、大谷君は残らないかあ。一ファンの希望。無理だと思うけど。
ホーム最終戦。大谷君のピッチャー&4番。凄かったなあ。

そして、白井コーチ胴上げ。またいつかファイターズに戻ってきてほしいです。

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